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ずっと欲しかった言葉

自己紹介の投稿に沢山のスキやフォローありがとうございました🍀
自分が書いた文章を投稿するなんて初めてだから、不思議な感覚がしています。
通りすがりの誰かの目にとまればいいなぁ〜、、そんな気持ちで書いています𓈒 𓏸 𓐍
私の心の中を少しでも多くの人にみてもらいたいなぁ(*´꒳`*)

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さて…ここからは本題に移ります。
今日の投稿テーマはタイトルにもあるとおりずっと欲しかった言葉についてです。

私が通っている大学は少し特殊で、学科ごとにクラスが分かれていて担任の先生もいるんです。
先月、担任の先生との面談がありました。今年の担任は、学年でも有名なくらい怖い女の先生なんです…   だから、凄く怯えながら面談のお部屋に向かいました。気がついたら1時間が経っていました。びっくりです。1人10分の枠なのに…💧 ですが、最後の枠なのもあってゆっくり先生とお話しできてとても充実した面談になりました𓂃 𓈒𓏸

面談終了後に、面談中に先生からいただいた言葉をかみしめていたら…これが私が20年近くずっと求めてきた言葉なのでは?と感じた言葉があります。

“あなたは、たとえ肩書きが無くなったとしても、それでも充分素敵な人ですよ”


この言葉は私の一生の宝物になると思います。


私はずっと自分を認められなかった。中高一貫の私立で成績は常に上位だった。幼少期から英才教育を受け、ピアノ、バレエ、社交ダンス、書道、スイミング、英会話、などなど沢山の習い事をさせてもらっていた。1歳から家庭教師にもついてもらっていた。常に完璧でありたかった。でも、自分のためではない。全て他人から認められるために。
なぜここまで完璧でありたかったのか…
多分、自分自身を褒められたことがなかったからだと思う。成績が優秀な私。字がクラスで1番上手な私。努力家な私。表彰状を沢山もらえる私。褒められる時は必ず余計なものがついてくる気がする。それは、私を褒めているのではない。私の肩書きを褒めているのだ。
一方、人格否定も沢山されてきた。世間的には裕福な家庭のお嬢さんだったのかもしれない。だけど、蓋を開けてみたら、両親から手を挙げられる毎日。兄弟間差別。いじめや嫌がらせ。ずっと暗闇の中にいた。「性格が悪い」「あんたがそんなんだから叩かれるのよ」「あんたなんかいらない」家でも学校でも、毎日毎日心無い言葉をかけられてきた。
でも、頑張ればみんなが褒めてくれる。認めてくれる。肩書き有きの自分しか褒めてもらえなかった私はそう勘違いしてしまった。
だから、大学生になってもがむしゃらに頑張っていた。大学に進学して、初めて環境に恵まれた。友達、先生、バイト先の人、クラスの仲間、ゼミ生…みんなみんな素敵な人ばかりだった。なのに、褒められる度に怖くなる。完璧でいないとまたみんなに嫌われる。いじめられる。暴力を振るわれる。そう思っていたから。

でも、先生がくれた言葉を聴いて私が間違っていたことに気がついた。


私は何も無くても充分素敵な人間なのだ。


だから、頑張り続ける必要はない。完璧にできなくてもいい。
私が私らしく歩める道を探そう🫧
これからの人生は、誰かにとって理想の私ではなくて、私にとって理想の私でありたい。

病気になって、学校にも行けず課題も提出できなかった時期があった。
でも、誰も私を見捨てたりはしなかった。むしろ、心配してくれて、大学も最大限配慮してくださった。

できない私も含めて私𓂃 𓈒𓏸
私の代わりなどいない。世界でたった1人の大切な存在。

先生がそう教えてくれた気がしています🍀

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