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毎日、伝える。

日本人は、態度や日々の生活で言葉にしなくても分かるだろうという風習がある。しかしそれは、かつての話ではないだろうか。欧米化した生活様式と、仕事やお金の世の中を考えても、親子関係ですら希薄な日常生活において、毎日、伝える。ことが重要になっているように思う。もしくは、会話した時は必ず伝える。とか。日本人の考え方や日本語によるものだというには、もう無理があるように感じます。

たいせつなことは「毎日、伝える。」
欧米の多くでは普通に親子でも恋人でも電話の最後などに「愛しているよ。」という。理由は、明日も分からぬ侵略などの歴史的な面だったり、言葉の違い、文化の違いなど、いろいろあるだろうと思う。何にせよ、伝えることが根付いている。

日本は、その独自の風習を残したまま欧米化したため、考えて方は旧態依然としていて、単純に希薄な関係性だけが進んでしまったのではないだろうか。また、開かれた風俗的考えも明治以降閉ざされてしまった。公共の場でのフレンチキスですら、まるで害悪のようになってしまっている。この辺の間違いは、正すべきだろう。日本は、もともとジェンダーの垣根も少なく開かれていた。
現代であれば愛情を伝えるのに声だけとは限らず、メールでも良いだろう。恥ずかしいという感覚を思いきって変えてみたらどうだろうか。

昔ながらの日本の暮らしと時間の使い方ならば、毎日伝える必要もないのかもしれない。その時代を経験したことはないので分からないけれど。
現代に生きる自分は、少なくとも大人になってからはずっと、「毎日、伝える。」ことに意義があると思っている。

そして、ほぼ毎日実践している。目の前に居る日も、そうでない日も。
実践することで、相手に対する何かよりも自分の感情の安定を図れることが分かるようになった。
そして愛すればこそ、愛されるという面もあるのだと思う。
少なくとも俺は、穏やかな毎日を過ごせるようになった。