欠けているものについて/香港デモ
朝起きてTVをつけると、黒服の人々が香港空港で数千人規模で抗議活動をしている映像が目に入った。
幼い子どもが、大人に手をひかれてデモ隊の間を通り抜ける。
これは、目を背けられないほどの「異様な光景」である。
子供にとってこの光景はかなりの恐怖であると感じた。
大人はなんと説明しているのだろう。
「見てはいけません。」
で済ませてしまっては、かなりのトラウマになってしまうのではないかと感じる。
大人は事の事態を把握し、子供に対してしっかりと伝える義務があると感じる。
デモに限らずだ。
どちらがどちらの味方だとか、賛成だとか反対だとか、、、
そんな綺麗事の話ではない。
知るという権利。そしてしっかり伝えるという義務。
インターネットが主流になり、情報社会になった平成。
情報の粒子はかなり小さく大量になり、聞きたくないもの、見たくないもの、知りたくないものも自然と入ってきてしまう世の中になった。
逆に言えば、言葉が届きやすい時代になったのではないだろうか。
だからこそ、私は「知る」ということと「伝える」
という事をやめたくない。
中国から権利と自由を守ろうとする香港人の必死の活動を知り、「自分たちに欠けているもの」について考えることができた。
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