なんにもなくてもいいことへの憧れその2-③ 古い家や林ですごした思い出

家の隣には林があり、秋になれば何本も並んだ大きな栗の木が実の入ったイガをたくさん落としてくれた。

そして私はその林でよく遊んでいた。遊ぶといってもとくに何かがあるわけでもないが子どもにとってはどこでも遊び場所になるもので、遊びといっても走り回っていたくらいだと思うけど。ずいぶんと多くの時間を林で遊んだ。


踏みしめられて固くなった土やまだふかふかと柔らかい土の感触、走り回っていると足にあたる草の感触、ゴツゴツした木やザラザラした木の感触、そういうのを直接感じながら子どもにとってのたくさんの時間を林ですごし遊んだ。

林の端っこの陽射しのあたる土には白いマーガレットを小さくしたような雑草の花が咲いていた。そこには蝶々がよくきていた。

蝶々にとっては余計なお世話だったと思うが、こっちのお花の蜜もどうぞと、私は蝶々の両羽をくっつけるように人差し指と親指で優しくつまみ、違うお花の上に移動させたりもした。



その林の中を突っ切っていくと道路に着くのだが、道路に近づくにつれ林の土は緩やかな上り坂になっていて、その陽射しのあたるところにはオオイヌノフグリという青く小さなお花が咲いていた。


その青色がとっても綺麗で子どもの頃に見た花の中では最も好きだったのだが、大きくなって名前の意味を知り驚いたよね。
花の名前をつけた人はどういう冗談で…それとも犬のあの形に似ているからわかりやすいと思ったのだろうか? いや、似てる???


それはさておき、変わった名前でもあの花は今でも大好きだ。子どもの頃は春になるたびに林にあの花が咲くのを楽しみにしていたものである。


子どもの冒険心や好奇心を刺激してくれるものがたくさんあった家や庭やまわりの自然。暖かく楽しい時間をすごした古い家。
その家で過ごしたのは6年間という時間だが、それは濃く充実していて、当時子どもだった私の人格形成に強く深く関わっていたと思う。


そうしてそんな思い出のつまった家も私が小学一年生になった頃に取り壊し建て替えることになった。


母は働き者だったが、あの男がちゃんぽらんなことは充分わかっていた。
だから母から家を新しくするんだよと聞いた時には真っ先に、誰がそのお金を払うの?と6歳の私ですら思ったものである。
そしてその疑問や不安は後々になり様々な問題として現実のものとなっていった。


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