相反する思いの間で一緒に揺れ続ける。

 本人との会話(架空)。高校を卒業した。仕事につかないといけない。そう思った。でも、何をしたら良いか、分からない。考えずにやってみたら。周りからはそう言われる。考えずにやることが怖い。事前に起こりうることを確認しておきたい。困ることが分かっているので、事前に対処できないのは受け入れられない。考え続けると、終わりが見えない。いつまで考えれば良いのか、誰も教えてくれない。これが正解。これをすれば大丈夫。それが分からない。分からず、動けないのは自分が周りと違うから。自分は普通ではないのではないか?何か原因があるのでは?その原因を除去しないと先に進めない。そう思う。でも、その原因が分からない。考える。考え続ける。それで一日が終わってしまう。今、思ったことも、先週、先月、昨年のどこかで思ったことかもしれない。デジャブのような同じ時間が流れている。

 嫌なら、思い切って飛び込めば良い。そう言われる。自分でもそう思う。でも、その決断ができない。決めるというのが怖い。決めることで責任を取らないといけない。責任を取るのが大人。頭ではよく分かる。でも、それが怖い。こうなった原因は家族、学校、社会にもあるのではないか?そう思うと、自分だけが責任を取らされているように感じてしまう。被害妄想。そう言われる。でも、そう思わないと自分を保つことができない。

 自分を保つことで一杯な自分がこの先、生活をしていく、生きていくにはどうしたら良いのだろう?誰も教えてくれない。自分と同じ経験をしている人は他にいるのか?自分だけのような気がする。他の人の話を聞き、自分とどう違うのか、確認したい。確認すれば、どうにかなるのか?それは分からない。でも、確認することで自分だけではないと思いたい。あと、自分とは違うとも思いたい。相反する想い。何で、こんな面倒くさい気持ちになってしまうのか、自分でも分からない。でも、それが自分。そんな自分を受け入れないといけないのかもしれない。でも、それがなかなか受け入れられない。自分を好きなようで、嫌い。

 ひきこもり支援を通じて、沢山の話を聞く。終わりのない話を聞き、続ける。終わりはない。正解もない。毎回が同じような話の繰り返し。相反する思いの間を行ったり、来たりする本人。それに呼応して揺れ続ける私。私がするのは、相反する思いを受け止め、本人の揺れに付き合い続ける。意味はあるの?それは分からない。同じことをしているだけでは?そうかもしれない。でも、一人で揺れていた本人が、私という第三者と一緒に揺れることで、何かが起こるのかもしれない。
 
 

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