支援の目標は、支援がいらなくなること

 支援という言葉が嫌い。支援という言葉が持つ良いことをしているという響きが嫌い。支援をしている人は、良いことをしている人であり、その人がすることが正しいという捉え方をされていそうで嫌い。
 家族がいつまでも家族をするように、支援をしている人はいつまでも支援をしたがる。自分たちの関与が残るように動く。支援は魔物。している方はそれで満足感を得て、それをすることが自身の存在証明になってしまう。
 親が親をしている間は、子どもは子どものままであるのと同じように、支援者がいつまでも支援者をしていると、相手はいつまでも支援者から離れられなくなる。そう考えると、支援の目標は支援者がいらなくなること、もっと言えば、支援という言葉がいらなくなることのように感じる。
 本人の為に。本人が安心して暮らせるように。そんな言葉と共に支援を行う支援者。でも、それが本当に本人のためになっているのかは分からない。そもそも、本人の為にと言葉にしていること自体、嘘っぽい感じがしてしまう。本人の為になっているか否かは本人が決めることであり、支援者が決めることではない。そうであれば、本人の為にと支援者が考え、行動することはそこに本人ではなく、支援者の考え、思いが隠れているように感じる。
 そもそも支援者は本来、いらい人。それが本人が大変になり、必要になったのであれば、その時だけ関わる。なぜなら、本来はいらない人だから。
 
 どんな支援者が良いだろう?あなたの為と言い、あなたの安心の為に行動しますと話す人と、あなたのことはあなたが決めること、大変なことがあればそれを一緒に考えるけど、全てはできないと話す人。求めるのはどんな支援者だろう?
 

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