「それでも、ソーシャルワーカーになりたくて(仮)」第2回

 本棚の前に立ってみると、自分自身が何に関心を持ってきたのかが分かります。今回、改めて本棚に並ぶ本を見ながら、影響を受けた本を探してみたところ、1冊の本のタイトルに目が止まりました。尾崎新さんが編集した「「ゆらぐ」ことができる力―ゆらぎと社会福祉実践」。読んだのは精神科病院に就職した頃でした。埃を少し被った本には、細長い黄色の付箋が付けられ、付箋部分を開けてみると、その当時の私が気になったところに線が引かれていました。

 最初の付箋が貼られたところを開いてみました。「「ゆらぎ」は、システムや判断、感情が動揺し、葛藤する状態である。また、②「ゆらぎ」は、混乱、危機状態を意味する側面をもつ。しかし、③「ゆらぎ」は、多面的な見方、複層的な視野、新たな発見、システムや人の変化・成長を導く契機でもある(p19)」の部分に線が引かれていました。

 そして、次の付箋のところを開けると、「「わからない」ことをわからないと発することで、援助する側は初めて自身と相手に向き合うことができる(p68)」に、その次の付箋のところには「「共感」は、感情移入、「他者」としてお互いに認める「他者性」が順を追って踏まれたときに成立した(p74)」にそれぞれ線が引かれていました。

 なぜこの本を私は買い、該当部分に線を引いたのだろう?思い返してみると、その当時の私は自分自身の気持ちがゆらぐことに敏感になっていました。仕事を初めて日も浅く、専門職は相手の言葉や行動にゆらがず、平然と対応するものと、どこかで思っていました。でも、仕事についてみると、相手から発せられる言葉、行動に、私自身が揺れてしまい、自分自身を保つことができずにいました。自分自身を保つことができない自分を責め、情けない気持ちでいました。

 また、共感という言葉に引っ張られ、相手の話にただただ頷いていました。私には分からないのに、分かっているように装う、分かっているつもりになっている自分がいました。偽っている自分が嫌にもなりましたが、専門職は分からないと言ってはいけないと、どこかで思っていました。アンビバレントな気持ちを持っていた私にとって、この本に書かれていた文章が響きました。私はその当時、関わった忘れられない事例を思い出しました。

 アカネさん(仮名)。50代の女性。家族は小学生の娘と夫。娘を妊娠する前あたりから体調を崩し、精神科を受診。娘を出産後も体調に波があり、娘は夫の実家が引き取り、面倒を見ていました。私がお会いしたのは、アカネさんが薬を大量服用し、私が勤務する病院に入院した時でした。これまで担当していた職員が前年に退職していたため、まだ担当数の少ない私が担当として指名されました。

 私はアカネさんの担当になると聞き、以前の担当者が書いていたケース記録を読んでみました。高校卒業後、大学進学を目指すが、上手くいかず。就職活動はせず、在家庭の生活を続けていたところ、お見合いで現在の夫と出会い、その後結婚。結婚後、間を置かずに妊娠。妊娠が判明する前ごろより、気分の波が激しくなり、「夫が浮気をしている」などと被害的なことを話すようになる。その時に精神科を受診。薬の服用も検討されたが、妊娠中のため、服用はせず、その後出産。出産後も気分の波は続き、子育ては難しいと家族が判断し、娘は夫の実家に。本人も夫といると安定しないと考えられ、本人も自身の実家で暮らすことになる。子どもが気になり、夫の実家に見にいくと、義母から色々言われ、その不満を夫にぶつけるため、夫婦仲は上手くいかず、その後も別居状態。「娘に会えない」、「夫が私のいないところで他の女性と会っている」などと両親、主治医などに話す。気分の波の揺れが激しくなると、リストカットや大量服用をし、病院に運ばれることを繰り返す。ケース記録にはそのように書かれていました。「大丈夫だろうか?」、記録を見て、そう思いました。私は担当として、対応できるだろうか?記録を読み、重い気持ちになりながら、私は本人が入院している病棟に行きました。

 病棟は開放病棟。部屋は4人部屋。ここ数年、本人は自傷行為で搬送されるとここの病棟で2週間から1か月ほど入院し、両親が迎えに来て、退院するということを繰り返していました。ナースステーションで部屋番号を確認し、本人の部屋に行きました。

私  :「こんにちは。声をかけても大丈夫でしょうか?」

アカネ:「はい。何ですか?」

私  :「スイマセン。私、芦沢茂喜と申します。この病院の相談室に4月から相談員として入職しました。以前、担当していたスズキさんが退職しているため、今回の入院より私の方で担当させて頂きます」

アカネ:「ああ、そうなんですね。アカネと申します。宜しくお願いします」

私  :「宜しくお願いします。少しお話を伺っても良いですか?」

アカネ:「いいですよ。何ですか?」

私  :「ここだと他の方もいるので、面会室で良いですか?」

アカネ:「はい。分かりました」

 面会室に場所を移し、話をしました。

私  :「入院されて、少し時間が経ちましたが、体調はどうですか?」

アカネ:「少し落ち着いてきました」

私  :「それは良かった。何か気になっていることはありますか?」

アカネ:「家のことですかね」

私  :「家のこと?」

アカネ:「入院すると、今まであれば両親が面会に来てくれて、今後についての話を主治医の先生としてくれるのですが、今回は面会に来ない。私が家に電話をしても、なかなか出ないんです。私、このまま退院できないのではないかと不安になります」

私  :「そうですか。それは不安になりますね」

アカネ:「そうなんです。私のことはどうでも良いと思っているんです。孫が生まれ、私が育てたいと言ったのにお前では無理と旦那の両親に引き取らせた。本当は自分たちで孫の面倒を見たかったのに、私が迷惑をかけているからと、孫ではなく、私を引き取ることになり、不満なんです。いつもそう。両親は私のことを大事に思っていない。私とは話をせず、夫と勝手に話をし、決めてしまう。夫に離婚されたくないから、私の面倒を見ているんです。私のことなんてどうでもいいんです・・」

 両親とあったこれまでの出来事について、本人は話し続けました。私は話の勢いに押され、ただただ頷くばかり。最後に「アカネさんが大変なのは分かります。両親に私からも連絡を入れてみます」と返すのが精一杯でした。時計を見ると、話を始めて1時間が経過していました。

 本人と別れ、私は相談室に戻り、両親の自宅に電話を入れてみることにしました。コール音が鳴り、受話器を取る音のあと、年配の女性の声がしました。

母  :「もしもし」

私  :「もしもし。突然のお電話で申し訳ありません。私、病院の相談室で相談員をしております、芦沢茂喜と申します。アカネさんのお宅でしょうか?」

母  :「はい。そうですが」

私  :「あっ。スイマセン。私が今回、アカネさんの担当になりましたので、ご挨拶でお電話をしました」

母  :「そうですか。宜しくお願いします」

私  :「宜しくお願いします。お母さんですか?」

母  :「はい。アカネの母です」

私  :「先程、アカネさんともお話をさせて頂きました」

母  :「そうですか」

私  :「アカネさん。これまでの入院であれば、ご両親が面会に来ていたのに、今回はなかなか来られないのを心配していました」

母  :「そうですか」

私  :「ご両親は面会に来られるご予定はありますか?」

母  :「今はちょっと・・」

私  :「今はちょっと?」

母  :「・・辛いんです」

私  :「はい?」

母  :「あの子は子どもの頃は勉強もでき、自慢の子どもでした。中学も私立に入り、高校も進学校に入りました。大学も良いところに行けると期待をしていましたが、上手くいかず。高校卒業後に、大学に行くことを希望しましたが、なかなか希望する大学に合格できず。月日ばかりが経ってしまいました。このままではいけないと思い、見合いをさせ、結婚。子どもが生まれたのに、精神的に不安定になりました。育児はできないだろうと考え、旦那さんと話をし、本人を私たちが、子どもは旦那さんの両親が引き取ることにしました。そうしないと旦那さん、離婚すると言うから、それは困ると私たちも受け入れました。でも、もう疲れてしまった。あの子は・・」

 お母さんの話はその後も続きました。自分たちがどれだけ大変だったか、これから本人のことを考え、行動する気力はない等との話が30分以上続きました。私は「お母さんたちの大変さは分かります。今後、どうしていくのか、本人に話してみます」と言い、電話を切りました。

 翌日、病棟よりアカネさんが面接を希望していますとの連絡が入りました。病棟に行き、アカネさんに声をかけ、面会室で話をしました。

私  :「病棟より面接希望との連絡を頂きましたが、どうされました?」

アカネ:「昨日、芦沢さん、両親に連絡すると話していましたが、両親と連絡が取れましたか?」

私  :「連絡・・取れました」

アカネ:「何て言っていました?」

私  :「いや、そうですね。・・・昨日は初めてだったので、挨拶しかできませんでした。また、連絡をしてみます」

アカネ:「両親は私を避けているんです。芦沢さんの電話は取っても、私の電話は取らない。いつもそうです。あの人たちはいつも。私は高校生の時に・・」

 本人の話は昨日同様に1時間続きました。本人の話はその後も毎日、続きました。病棟からの面接希望が毎日朝来るようになり、日によっては午後も連絡が来るようになりました。私はどうしたら良いか、分からなくなっていきました。

 続きは次回。

*私が事例を通して何に悩み、考えたのかについては事実ですが、登場する事例は、個人が特定されないように、複数の事例を組み合わせるなど、加工し、創作しています。

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