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<気魄>ということば

介護の現場の中で、利用者さんから日々<なにか>を受け取っている。
雑談のなかで、ふとその人の生き方そのものを感じることがある。それはその人の生きてきた証であり、目前にある死ぬための居方のようにも映ることがある。利用者さんとの会話は、雑談だけど、長い人生の中の『今ここの話』のように聴こえる。<こんなふうに生きてきたの>の想いがつまった、『今ここの話』を伺えることはただただ感謝しかなく、それでも、うかがったすぐあとお逝れすることも日常。そんな一期一会の出会いで受け取った私は、そういった見えない想いを綴っていくことが感謝の証でもあるような気がした。

5年前、初めてマインドフルネスという『今ここの話』を藤田一照さんという禅の僧侶から学んだ。それ以来、機会があれば、話をされる場にいたいと思う人となった。
 先日、“一照さんを囲む会”というzoomイベントに参加した。知ったのは、開始時間の1時間前、仕事帰り。スマホを手にした瞬間目に入った。後で録画をみてもいいかなと、帰宅できた5分前にぎりぎり申し込みを終えた。

会の中で一照さんのコロナ禍のでの<気魄>についての語りがあった。その時、なんらかの形で想いを綴っていきたいと思っていることが、ことばになってでてきた。

気魄ということば

高村光太郎の『道程』にでてくるあの<気魄>
知性で理屈がわかっててもだめで
理屈よりも大きいもの。
考えのなかにはでてこないもので何が起きても立ち上がること。
させてくれるものでなかったり、きれてしまうと
<死>を意味すること。
今はそのことば自体が死語のようで失って生きているのはゾンビのよう。
そういったものを<気魄>という、と
一照さんは語った
その語りをきいたとき、私は「知ってる」と思った。

仕事で1年半前からかかわってる利用者さんに
この夏、治らない病がわかった
先月お会いした時、歩行器や杖で歩いてて
にっこり笑って「あいかわらずよ」と言った
10日くらい前、急に歩けなくなって
お腹に肺に、腹水が溜まってかえるのように大きなおなかで
歩けないほどに膨れ上がった太いあしで
体重が1週間で10キロ太った
それでも家のおふろに入りたいと
お医者さんから利尿作用のお薬だしてもらい
どうしても今日看護師さんにいれてもらうからと
すぐに持って来てと連絡があった
私がすべりどめマットをもっていった時
歩行器であるいてトイレにいって
台所にいっておみずを飲んで
ベッドにもどり「あいかわらずよ」とわらう。
むくみは少しとれてたけど
腹水でおなかはぱんぱんで、腸閉塞だし
医学的には、もう最期の段階で
痛みが激しいはずで、
歩いたり話したり無理なはずで。
それでも、
人の手を借りることはあるけど、
ぜんぶじぶんではできないけれど
でも、ひとりで移動し、ひとりで座って食事をする。
そして「あいかわらずよ」とわらう。
そのゆったりした、ゆっくりの動きの中に
<それ>はあった。

1年前、予防の認定でかかわった人から
先月、立てなくなったと連絡があった
“生きてる感覚のからだで生きること”を
大事に生きてきたけれど
今のじぶんはそうじゃないから、いつ死んでもいいと言う
「味わったことないだろうから、この感じをせっかくだから教えたる」と
生きることをあきらめたではなく、生きてるからこそのことばで
用事を終わらせ帰る私を呼び止め、語り出した利用者さんがそこにいた。
肺に水がたまって、息をするのもしんどいはずなのに
いつものようにラルフローレンのシャツで
いつものようにチェアに腰かけ
声にならない、でもしっかりとしたその声で
30分も私に語ってくれた利用者さんがいた。
ゆっくりとじぶんの感覚を確認しながら、
生きたことばで話し続けた。
帰り際「また来ます」というと「またはないぞ」と
手を腕をあげて、少しわらった。淡々と静かの中に<それ>があった。

私を<それ>を<気魄>と思った。
一照さんの話を聴きながら「知ってる」と思った。

ふたりともその後1日、2日で、その時までいたはずなのに
いなくなった。
なにか音のない静けさがそこにはある感じがした。

私はわたしの日常で、ことばとなってでてきたとき、想いを綴っていきたいと思った。

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