最悪の小学5年生

小学2年生の時に、大阪のど真ん中から兵庫県の田舎に引っ越した。
田舎といえども神戸の街から遠くなく、当時は大阪や神戸で働く人がこぞってマイホームを買っていたような郊外の街。
山に囲まれ、田んぼや蛍が見えるきれいな川があり、若めの夫婦が子供を育てるのに最適な環境のようなところで小学校に通っていた。


私が通った小学校では毎年クラス替えがあった。

小学5年生の時になった新しいクラスでは、なぜか親しい子が少なく、更に後になって分かったが、いわゆる騒がしい子たちが集まっていた。

担任は新卒の先生だった。
男の先生で、これから教師として働くぞ!と、とても意気込んでいるような、元気いっぱいの初々しい先生。
この頃は辛い思い出が多すぎて、記憶が途切れ途切れになっているのでハッキリと思い出せないが、何かの拍子に先生が完全にナメられるようになってしまった。
そこから学級崩壊が始まった。

前の章で書いたが、小学生の頃私はとにかく正義感が強く、勉強がものすごくできる優等生だったため、毎年のように学級委員に選ばれていた。
そして私は親の意向で中学受験をすることになっていたので塾通いもしていたし、とにかく学校できちんと勉強がしたかった。
なので、学級崩壊なんて耐えられるわけがなかった。

学級崩壊と言ってもピンとこないかもしれないが、私が経験したのは本当に先生が授業ができなくなるレベルで、
騒がしい生徒たちが授業中に机の上を土足で歩き回っていたのを覚えている。
授業をボイコットするのがクラスの半分以上だったので、先生がどんなに注意しようと全く意味をなさなかった。
見かねた学校側が他の先生(教頭先生だった気がする)に授業を監視してもらうような処置を取ったりしたが、あまり改善されなかった。

私はとにかく頭にきて、先生の味方をしていた。
学級委員だった責任感もあり、うるさい生徒に注意したりなどしていたんだと思う。

そうすると次第に浮いてしまうのが日本社会の悪いところで、出る杭はすぐに打たれるのだ。


女子たちのリーダー格の子がいて、彼女が私のことをよく思っていないのは知っていたが、まさか私が仲良しだった子たちも丸め込んで、吊し上げにしてくるとは予想できなかった。
昼休みか何かに仲良しだった子2人くらいに呼び出され、ついていくとリーダー格の子を中心に女子が10人ほど構えていて、内容は詳しく覚えていないが全員から強く非難された。

正直何が起こったのか分からなかった。

私は学校は勉強する場所と信じ切っていて、それができない状態に陥ってしまい、先生の努力が報われないのもかわいそうに思って、普通の状態に戻そうとしていただけなのに。
なぜ非難されるのか一切理解できなかった。

でも一番ショックだったのは、仲良しだと思っていて、その前の日まで普通に話すことができていた友人たちが同じように私を批判し、目も合わせてくれなくなったこと。

私は何か悪いことをしたのだろうか?
昨日まで話してくれた彼女たちは、実は前から私の事を嫌いだった?
無理して友達のフリをしていたの?

この年の少し前から容姿コンプレックスと、みんなと話が合わない事で下がっていた自己肯定が、この件で更に下がってしまったのは言うまでもない。

やっぱり私はデブでブスで性格も良くなくて、友達にも嫌われてしまう。
正しいと思ってしている事も裏目に出て、みんなを不愉快にさせてしまう。
仲良しだとこちらが思っていても、一緒に笑ってくれていても、実際に相手は何を考えているか分からない。
みんなきっと裏で私の悪口を言ってるんだろう。

普通に笑って話せる友達が欲しい。
でもみんな私の事が嫌いだからきっとできない。
私はみんなと仲良くなれない。

この時に不登校にならなかったのはなぜだか分からないが、10歳〜11歳にして寝る前によく「目が覚めなければいいのに」と思っていたのは覚えている。11歳なんて本来ならいっぱい友達と遊んで、楽しい毎日を過ごせるはずなのに。

そこから私は勉強に没頭した。
もともとは親の意向だった中学受験だが、その子たちと同じ中学校に行くと地獄しかないというのは目に見えていたので、
何としてでもそれを避けるため、絶対に地域外にある私立中学に落ちないために、ひたすら勉強した。

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