自己肯定が低すぎると起こること

でもさ、アンタいろんなところでいっぱい褒められてるやん?
みんながみんな面と向かってディスってくるわけじゃないでしょ?
卑屈すぎじゃない?

ここまで読んでくれた人はそう思ったかもしれない。
確かにそうだ。
友達からの優しい言葉、仕事でうまくいった時に投げかけてもらえるありがたい言葉。
小さな事で言えば、語学学校で中国語を勉強していた時に、うまく文章を作れたり、以前はできなかった発音ができるようになれば、老師(先生)にもたくさん褒めてもらえた。
大人になってからは、感情をひたすらぶつけあう思春期とは違い、ほとんどの人がすぐに波風をたてないように、少なからず空気を読んで発言するだろう。
ものをハッキリと言う事で知られている英語圏だって、大人の世界の方がティーンエイジャーの時より感情むき出しの喧嘩をする率は低いだろう。
大人として生活していて、日常生活で面と向かって
「ブサイク」
「デブ」
「一緒にいて楽しくない」
「友達じゃない」
なんて、そうそう言われないだろう。

この10年ほどでSNSが普及して、人のコメントを文字で目にする機会が圧倒的に増えた。
写真をアップロードすれば「かわいい」「きれい」「素敵」などのコメントを友人たちからもらえるし、Twitterに至っては会ったことのない方も言ってくれる。
ブログを書いていると、たまに読者の方から「楽しく読んでいます」というファンメールまでいただける。

普通に生活しているだけで、こんなにも温かい言葉をかけてくれる人がいるのに、なぜ自己肯定が低いままで、鬱が消えないのか。
ずっとずっと考えてきた。

最終的に至った結論は、自分が自分の事を好きじゃないから。

私の場合は、それが子どもの頃にしっかり出来上がってしまった。
見た目の事を言われ続け、挙句の果てには少しだけだけどクラス全体にいじめられた時期があった。
それに拍車をかけたのが、身内で男女関係なしに「どんな見た目でもあなたはかわいいよ」などの外見を褒める事がなく、むしろ少しだけけなして、おもしろおかしく取り扱ってしまう日本(東アジア)の文化。
外見に関してだけではなく、(今でもそうだが)私は何もしなくてもなぜか自然と目立ってしまうので、日本の「出る杭は打たれる」文化にも、それはもうこっぴどく打ちのめされた。
私は10歳前後で自分が嫌いになり、死にたいと思うようになってしまった。


自分の事が大嫌いだと、人に優しくされたり褒められたりしても、素直に受け取れなくなる。
「すごいね」「えらいね」「がんばってるね」「かわいいね」等の言葉をかけてもらえた時に、心の奥底まで届かないのだ。
ひねくれていると言えばそれまでかもしれない。
だが、傷つきまくってズタズタになっている心には、まず警戒心が生まれる。
自分で自分の事を価値がない人間だと思っているのに、なぜこの人は優しくするの?
なぜ温かい言葉をかけてくれるの?
まずは混乱し、その後、この人は私から何かが欲しいんだと思ってしまう。
分かりやすく言えば、あなたを恋愛対象として見ていそうな人が近づいてきた場合に、まずはその人の事を信用せずに、何か下心がある、と疑ってしまうような。
その感情にとても似ている。

自分が深入りしないように、近づいてくる人を信用して、期待どおりにならなくて、傷ついてしまわないように。
全てにバリアを貼ってしまう。

本当は素直に受け止めたいのに。
本当はあなたと何でも話し合えるいい友達になりたいのに。
でも私にはその価値がないから無理だよね、と諦めている自分に気づき、ますます自分の事が嫌いになっていく。

自己肯定の低さは悪循環しかもたらさない。

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