娘が、学校との付き合い方を変えて、もうすぐ一年になろうとしている。 6月頃、頻尿からはじまり、 しばらく家にこもり、 本読む、絵描くという娘がしたいことを毎日繰り返し、 8月頃、ちょっと何かしてみたいな、となり でも毎日学校は、行きたくないな、でも元気が出てきて、気持ちが外に向かってることがわかった。 昼間行ける、娘に合った場所はないかな、と探し、 9月からオルタナティブスクールに通うことを決め、 地域の学校に週1、オルタナティブスクールに週2回通うペースに、なってきた最近
娘、学校行かない、となった時、 行く、行かない、は自由。 でも、お互いここちよく過ごしたいよなぁーってなり、我が家のルールを決めました。 朝、決めた時間に起きる。 夜、決めた時間に寝る。 ごはん一緒に、たべる。 外でおひさまにあたってあそぶ。 どれもこれも、私と夫がこう思うから、と、理由を伝え、娘も考え、決めたルール。 ①朝起きて夜は寝る。身体に備わってる動物としてのリズム大事。と、思うから。 学校行く日も行かない日も6時半には起きて、21時には寝る。 ②私が娘と一緒に
私、不登校になった当時、おとなに対して 不満でいっぱいだった。 そして、25年ほど経った今、娘が不登校になり、不登校に対しての学校の対応が時代が変わってもたいして変わっていないことに驚きと、これではしあわせな子どもを増やせない、と思っている。 不登校は学校生活その他の様々な要因によって生じるものであり、どの児童生徒にも起こり得るものであるとの視点に立って、不登校が当該児童生徒に起因するものと一般に受け取られないよう、また、不登校というだけで問題行動であると受け取られないよう
よくある周りのおとなからの疑問、質問。 そうか〜そんな風に思うんだなぁ、と聞きながら、あまのじゃくな私がいつも出てきては答えている(心の中で笑) ○家が居心地がよいから出られないんじゃないか? →そうかもなぁ〜。でも、でも!家は安全基地であったらいいと思ってる。 居心地の悪さをバネに外へ向かっていける人もいれば、安心、安全があってこそ進める人もいるのではないか?娘がどうかはわからないけど、私は居心地のいい家に住みたいなぁ〜。 ○早めに対処しないとひきこもりにつながるんじゃ
入学準備で、ランドセル購入する時、 「ランドセル、何色にする〜?」 って聞いた時、 「小学校、行くかどうか迷ってるから、ランドセル買うのちょっと待ってな」 って言ってた娘。 学校行くか行かないか、当時5歳の娘の中には選択肢があるんや!とちょっと驚きだった。 そう思い返せば、行かない選択肢をしたことも納得がいった。 小学1年生、2年生は、娘にとって、おためし期間、だったのかもしれないな。 自分自身が子どもの頃、不登校になった時思ったこと。 「なぜおとなはわかってくれ
娘小3。学校行かない理由を尋ねられたとき、 「おもしろくないから」 と、答えた。 勉強は同じことばかりの繰り返し、みんなができるまで先へすすめない。 「もっと好きなことしたい」 彼女は、本読むことと、絵をかくことが好き。 週5学校へ行くことで、その時間がとれない、と話す。 「肌にあわない」 これ、聞いた時、そりゃしゃーないわなあ〜。。。 と思いました。 学校じゃなくても、娘に合うとこあればいいよなー と思いました。 合わない子どもたちが出てきている現実。 彼女
~不登校児だった私と、現在不登校の娘。 子ども時代の私が当時、親に、おとなに、どんな風に関わってほしかったか思い出しながら、そして親になった今。できることを記録していきます~ コロナで休校が続いていた2020年。 6月、学校が始まり、娘、急に頻尿になる。学校に行こうとするも、足がガクガクして歩けない、という。 身体に症状あらわれた。これはちょっと、ゆっくりのサイン。 子どもが学校行きたくないってなった時、周りのおとなの心の中で、悪者探しがはじまる。 学校で何かあっ
タイトルは、当時13歳の私の日記の一部。 かれこれ25年前に書いてた、私。 私が悪い? 私が、学校行けたら。みんなみたいに学校行けたら。 先生も、近所のおとなたちも、何も言ってこないのに。 お母さんも、お父さんも、悲しまないのに。 私さえ学校行けてたら。 当時の私に、今なら近所のおばちゃんとして、私、言ってあげたい。 「あなたは何にも悪くないわ、うんうん、そうやなぁ、そんな日がくるとおばちゃんも思うで!生きて、そんな世界を見ようなぁ!」 私自身が学校行けなくなった時
「小学校、辞めるわ〜」 ある日の娘(小3)のことば。 「そうか〜そうなんや〜おかあさんも辞めたことあるわ〜おかあさんの場合は中学校やったけど」 とわたし。 学校は、学びの選択肢のひとつであって、行くも行かないも、こども自身が決めることじゃないか、と私は思っている。 周りのおとなはいろいろ心配するけどね、 とにかく、子どもが、学校行かない、という選択をしただけのこと。