気持ちが沈むこともあるのだけど……
書くことがない……
最近、そんなことで悩んでいるボクが新しく始めたのは毎日の生活の中でちょっとした写真を撮っておくことだった。
このやり方はボクにはあっているかもしれないと以前に話したが、確かに何も書くことが思いつかない時にダラダラと写真を眺めていると良いネタが思いつくことが多い。
ただこのやり方だと時間がやたらととられてしまうというデメリットもある。
仕事なんかせずにこればかりやっていることができるのならいくらでも時間をかけることができるのだけど……そんなわけにはいかない。
でも……
仕事がしんどすぎて死にたいと思うことがある。
けっこう常時そんな状態だ。
そんな時に、このやり方で記事を考えると仕事などどうでも良くなるのだ。
どうせ死ぬんなら好きなことして行くところまで行って生きていけなくなったらその時考えればいいじゃないか。
そう考えると気持ちが楽になるのである。
しかもこのやり方のいいところは書き手であるボクを救ってくれるだけじゃなくて読者にも優しいのだ。
写真も記事に載せることができるので視覚に訴えることができるから記事が読みやすくなるのである。
例えば……
今日は何も書くことがなかったし、ツツジの記事でも書こうかな……
そう思って撮った写真がこれ。
ちょっと暗いなあ。
まあ、夕方に撮ったし仕方ないかな……そう思ってあの時はnoteにはそのままアップしたのだけど……
やっぱりどうにかなんないかなあ……という思いが頭の中にモヤモヤと残り続けたので……
加工してみた。
写真の加工など、今まではやったこともなかったのだけど、こんなに良くなるのなら今度からはちゃんとやろうと思った。
大体……こういったエッセイとか小説の類のものは文字ばかりだと、なんだか読んでいると疲れるのだ。
どんなに面白い作品でもちょっと疲れている時に、同じぐらい面白いものがテレビでやっていたら小説よりもテレビをみてしまうのではないだろうか。
まあ、人によっては違う答えが返ってきそうな話ではあるが、ボク自身が基本的には小説よりも漫画に手が伸びる方なので、大抵、みんな同じぐらいの面白さなら、字面ばっかり追わなければならない小説なんかよりは、視覚に訴えるコンテンツの方が楽しみやすいのではないかと思う。
いや……
じゃあさ。
なんでそんなあまり読んでももらえないようなジャンルでエッセイなんか書いているのさ?
読者に字面ばかり追わせるコンテンツはオワコン(終わったコンテンツ)なんでしょ。
こんなことを言われてしまいそうな気がするが……
まずボクは別に小説やエッセイはオワコンとは思っていない。
これはこれでまだまだ成長が見込めるコンテンツだと思っている。ボク個人の意見としては、文字を読まないと読解力というものが身につかないと思うので、小説やエッセイは娯楽という分野だけではなく、教育という分野でも活躍できるコンテンツなので決してなくなってはいけないと思っているのだ。
ボクがこれらのものを書き続ける理由は他にもある。
できれば視覚に訴えられるコンテンツを作りたいとは思うのだけどその技術は残念ながらボクにはない。
でも自己表現はしたい。
だからその方法の一つとして、エッセイや小説という形をとっているのである。
簡単に言えば……
書くのが大好きだから書き続けている……というところだろうか。
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