見出し画像

牛丼には紅生姜

 時間がないけどお腹は空く……。
 コンビニ弁当で済ましてもいいけどなんかそれでは寂しすぎる……。

 そんな時に重宝するのが牛丼屋である。

 大手の牛丼チェーン店に行けばどこのお店でもそんなに高いお金を払わずに、美味しい牛丼が時間をかけずに食べることができる。
 これは本当に助かる。

 牛丼は美味しい。
 そしてまあまあの頻度で牛丼を食べているボク。
 実はその食べ方には一家言あるのだ。

 結論から言うと牛丼には大量の紅生姜と一緒に食べるのが好きなのである。
 ボクが牛丼を頼むと、テーブルにある紅生姜の三分の一はなくなってしまう。
 牛丼の味と紅生姜が、すごく合うのだ。

『食べなれてるからじゃないですか?』

 以前に一緒に仕事をしていた石田さんにそんなことを言われた。
 あの組み合わせを『食べなれている』の一言で済ますなんて……とその時は思った。
 若い日のいい思い出である。

 相変わらずボクは牛丼には紅生姜をたくさん入れて食べている。
 よく考えてみれば、食べ終わったあとやたら喉が渇くのは紅生姜を食べて塩分を摂りすぎているからなのかもしれない……ということに最近気づいたので、美味しいものでも食べ過ぎないようにしようとは思っている。
 それに……

 つい最近、吉野家に入ったら紅生姜はテーブル席には置いていないではないか。

 なんでだろ?
 そう思ったが、たぶん食べ物で遊ぶバカ共が増えたからに他ならない。
 紅生姜ばかりを食べているところを動画に載せてみたりとか、そういうことをする奴がいるのだ。
 ボクが好きで紅生姜をたくさん入れて食べているのと、彼らの行為はまったくもって違う行為だ。
 いや、紅生姜ばかりたくさん食べていることには変わりはない。
 ただボクは遊んで食べているのではない。
 個人的な好みとして紅生姜と牛丼があうのでたくさん入れてしまうだけなのだ。

 正直……
 一緒にされたくない。

 そもそも……紅生姜だけに限らず、そういう食べ物で遊ぶような動画を撮っている人の気持ちが分からない。
 彼らは親から『食べ物で遊ぶな』と怒られたことはないのだろうか。
 てゆうか、親から言われたことがなかったとしても、世界中を見回せば明日食べるものもないという人もいるのだ。
 そういうことを考えると食事をするときに感謝の気持ちを常に持つことが必要なのではないだろうか。

 それなのに食べ物で遊ぶなんて言語道断である。

『いただきます』という言葉は命をいただきますという言葉に端を発している。
 ボクらが食べる食事はすべて形は違えど命なのである。
 それを食べることによってボクらは生きている。
 本当に感謝しなければいけないことで、おそらく『いただきます』という言葉もそのような感謝の気持ちをこめて言う言葉なのだろうと思う。

 食べ物で遊ぶ動画を撮っている人。
 そしてそんな動画をヘラヘラと笑いながら見る人。
 説教臭いことを言うようだが、もう少しそこのところを考えてもらいたい。

 最近では紅生姜だけでなく、お店によってはお寿司のガリも有料になったようだ。

 こんなやからがいるならそういう処置もやむなしとは思うが、お店が提供してくれるそれらのものを純粋に楽しんでいたものからすれば、どうしてくれるんだという怒りの気持ちがないわけではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?