見出し画像

『月と六ペンス』

洋書2冊目。📚

先日読んだナボコフの『ロリータ』で
洋書の解釈の難しさだったり、
翻訳を介すからこそなんとなくすっと読むことができなかったりするもどかしさが逆に面白く、
もう一度洋書を読みたかった!

そして選ばれたのは、
たまたま江戸川橋の古本屋で見つけた、
『月と六ペンス』🌙

京都のお洒落なカフェの店名で覚えていて、
「あ、これ小説のタイトルだったんだ」と
気になって買ってみました。

あらすじを読んだ時に、てっきり恋愛テーマかと思っていたら大間違い(笑)
(途中まで語り手の「私」を女性だと思い込んでいた...人間の思い込みって怖い)

今回は、画家ストリックランドの人生を
「私」の視点で描いた物語
『月と六ペンス』の感想を書いていきます📝

『月と六ペンス』1番のメッセージ

「情熱のままに生きる」
端的に言えば、この物語の真髄はこれ

展開が進めば進むほど、
この生き方を体現するストリックランドの姿に
惹き込まれてしまいます。

絵を描くために家族を捨て、仕事を捨て、
身寄りのない世界に飛び込んだ彼の人生が
綺麗事では済まされないのもまーたリアルで...!

ストリックランドは、
貧困や病気に苦しみながらも、
野生的なまでに溢れ出る
「絵を描きたい」という欲求
に従って
生きていました。

語り手の「私」と同じく、
どんなにめちゃくちゃな人生でも
なぜか憎めないのがストリックランドの人柄。

というのもきっと、
彼はたくさんの人を傷つけるのですが、
その誰かを傷つけたという事実が、
彼の人生を生きるために選ばざるを
得ないものだったから。

傷つけようとしたわけでもなく、
傷付けてしまった、と絶望するわけでもなく
この選択肢を取るうえで犠牲にせざるを
得なかったのだ、と割り切っている

この潔さがストリックランドの人柄であり、
いろんな人間関係、見えない荷物を背負う中で気付けなくなってしまうものなのだと思いました。 


ストリックランドが捨てた妻や家族の生き様が
彼とは対照的であることも印象的。

ストリックランドの壮絶な人生を全て知った「私」は、後に彼の家族に再会するのですが、

周囲の評価、家系などから、
「こう生きるべきだ」という基準を定めて生きる彼らの人生を見ると

何のためにこの人たちは生きてるんだ?

こんな感想が浮かびました。

誰の基準で幸せを決めているのか?
そこに気付くことすらないまま
自分は幸せだ、という顔をする家族たちを見ると、すごくむなしい。

きっと彼らにとってはそれが幸せだからいいのだけど、ストリックランドの本能的とも言える情熱的な人生を見てしまっては、そこに憧れることしかできないです。

おまけに

もちろんこの物語のメインはストリックランドですが、個人的には「私」の友人である画家ストルーヴェも好きでした😌

彼がストリックランドを看病するために家に住ませていた結果、愛する妻がストリックランドと共に出ていく羽目になり、
最終的に妻が自殺してしまうというかなりヒステリックな展開で、
(この一面だけ見るととんでもない話)

ストルーヴェを励ましつつ「私」が感じた一言がなんだかこの世の核心を突いているようでした。

だがなにより辛いのは、実際、ふたりの悲劇で何も大して変わっていないということだ。地球は回り続け、あの事件で不幸になった者はひとりもいない...

p.250

薄情に感じられつつも、
それが日常なんだよなあ。

この物語は結構「渋い」気がしていて、
もう少し後に読み直すと、また新たな視点で
ストリックランドの人生をとらえることが
できる気がしました。

ストリックランドの情熱の強さに対して、
物語は「私」の視点で展開するからこそ淡々と話が進む。

だからこそその時の感情や見え方によって、いろんな感じ方ができる物語だと思いました!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?