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【本能寺の謎】見えない人(1)

 村井春長軒貞勝が、自邸の会所から酉(西)方を見やると、堀ひとつ隔てた土居の向こうが赤々と染まって見えた。
 夕刻ならばいざ知らず、明けの六つ頃というに。

 周囲の喧噪は一段落したものの、人馬の行き来する地響きは絶えない。
 自邸への放火は免れたが、すべての障子や板壁は蹴破られ、天井板や畳が剥がされている。
 張り替えたばかりの一の間の畳も土足で蹂躙され、書院に掛けてあった弘法大師真筆との掛け軸も払われていた。

 貞勝はしかし、怒りよりも恐怖が先に立っている。
 隠れている者がおらぬか検分のため、執拗に槍で突かれた畳の穴が、襲撃を行った者の妄念を感じさせた。 

 おんなどもは伝手を頼み、懇意の公家のもとへと去らせたが、無事に着いただろうか。
 正室を亡くして五年。
 六十を越えた身で、女御の端に年甲斐もなく手を付けてしまった。上臈を見慣れた目には却って新鮮だったため、情がうつったのだ。

 梅雨の候で、美しく開いていた紫陽花も散らされてしまった。いずこからか風に乗ってくる沈香のにおいが鼻の奥を突き、涙が出そうになる。
 なんとか手を尽くして上様お側に参上したかったが、それもならず不甲斐ない思いと、これから行うお役の責任感とで、気が高ぶっているのか。
 下腹に気がたまっているため、めまいすら感じた。

ー昨晩の酒宴が嘘のようじゃ
 上様は西国への出陣を前に緊張の色はなく、なごやかに談笑されておられた。昔日のごとく、「吉兵衛」と甲高い声で呼びかける信長様のお顔が、まぶたに浮かんでは消える。

 かつては、出陣前夜は、鬼神のごとくに荒らぶったこともたびたびであったが、此度のいくさは楽観しておられるようであった。
 貞勝が羽藤吉(秀吉)から受け取った密書には、花押替わりに六つ指痕が付けられ、己が多指すら諧謔に代える彼の文にも緊迫の気配はなかった。
 上様ご出馬にて備中退治が成った、と演出する余裕すら窺える。

 秀吉が中国攻めの詳細を贈ってよこしたは、貞勝が昨年家督を息子に譲ったとはいえ、京都所司代として長年お仕えしていることを鑑みてのことであろう。
 宣教師ルイス・フロイスなどから「都の総督」と呼ばれ、「尊敬できる異教徒の老人であり、甚だ権勢あり」と称された彼が、秀吉の功を評価できるようにとの思惑かも知れぬ。

 万事に如才ない秀吉は、森乱(蘭丸)や堀秀政、長谷川竹(秀一)らには日頃から音物、金品の贈与を欠かさず贈っているようだ。

 ふと見ると、内蔵助(佐々成政)に嫁いだ長女のはつが、貞勝の病を心配して送り届けてくれた護符が破られ捨てられているのが目に付いた。
 天正八年十一月二十九日に持病の水飲病み(糖尿病)が悪化して寝込み、一時は命も危ぶまれたが薬師様の功徳あってか、なんとか持ち直したのだ。 
 貞勝は、こみ上げてきた怒りを懸命に抑えた。

 兵は気が高ぶっている。
 どのようなきっかけで暴発が起こらないとも限らず、大事の前の小事と言い聞かせるように瞑目する。

 西の空が赤々としているのは、朝焼けではない。
 本能寺の伽藍、堂塔が紅蓮の炎に包まれたのは、明けの五つ(八時)頃。堀ひとつ隔てた村井の邸に燃え移るのも、もはや時間の問題かと思われた。
  
 太刀が触れあう音がして振り向くと、左右に控えている供回りに抱えられるように紺糸縅具足の甲冑武者が入ってきた。
 畳の間でも正座できず、床几に腰を下ろすにも、左右の手を借りねばならないようだ。

 黒漆鬼喰形大瓢箪脇立兜に、桔梗の紋。
武者が面頬をはずすと、血走った目だけがぎらぎらと輝いている焦燥した老人の表が現れた。

 使い番を差し向ければ済みそうなものだが、本人が現れるとは思わなかった。律儀さゆえか、あるいは話の内容が内容だけに誤達に拠る無用の混乱を避けるためか。
 明智光秀は貞勝より五つ六つ年長だから、七十過ぎか。
 しかし眼前の老人は、見慣れた顔とはいえ、まるで八十、九十の老翁のようだ。皺ばんだその頬には老人斑が浮かび、やせさらばえた両の手は力なく震えている。

 老けたな。
 我もまた爺ではあったが、まだ、おんなの色香に迷う余裕がある。切所で気が高ぶったか、貞勝は変な優越感をもった。
 光秀と両輪となって京を治めていた頃は、生き生きと公方義昭と信長の間を駆け回っていたものだが。
 丹波攻めの労苦がたまったか? いやむしろ、その後の閑却した日々のほうが身に応えたのだろうか。

 あるいは病かもしれぬ。 
 石山本願寺攻めの陣中で、ちょうど今頃の季節(五月二十三日)病に罹って帰京。
 上様が見舞ったのが六月の二十六日であったから、ひとつき以上もの長患いをしていたことがあるやに聞いている。

 上様が四国征伐の大将として三七信孝殿を立て、補佐として日州(光秀)ではなく 五郎佐(丹羽長秀)を付けたるは、光秀が長宗我部と縁深きことよりも病の弊が大きかったのかもしれぬ。
 突然、外で大きな音がして、堂塔が倒壊した。

「日承上人様が八世となりし本能寺を焼かれた手際、お見事に存ずる」
 自分でも思わぬ言葉が口を突いて出た。

 本能寺日承上人(伏見宮第五代那高親王の子)は天正七年に没している。 
 もし、彼の上人がご存命であれば、天朝様に忠実なる光秀がかような狼藉をはたらくなどなかったであろう、と貞勝は思う。
貞勝の挑発に、怒るやに思われた光秀の表情が歪んだ。外見の蒙昧に見合わず、その冴えた頭の切れは変わらぬらしい。

「なにを思い、かくなる業をばなされた?」
 老人の口が微かに動いたが、うまく聴き取れない。ひとしきり咳いたのち、
「我が……」と語り出した。
 やはり病じゃな。瘧、あるいは労咳か? 
 病ゆえに、その前途を悲観したか。

 石山本願寺攻めの得た病を献身的に看病していた妻女(熙子)が、その病を貰って没したという。
 感染る病とせば、やはり労咳か? 
 病魔は一端、光秀の表を去ったものの体内に潜み、再発の機をうかがっていたかにみゆる。 

「我が身ひとつは達観したが、一族の行く末を思うと夜も眠れぬ」
 正室があっても側女をもつのが当たり前の世にあって、ひとりの妻女を大切にした男が、自ら招いた病魔でその妻を失ったとあっては、気落ちもあったろう。
 娘も長岡藤孝の嫡男に嫁いでおれば、このような挙は障りとなろうに。

「ご子息はいくつになられた?」
「十三」
 元服の歳か。初陣は果たしたのであったか? 人のことは言えぬ。自分も物忘れがひどくなっている。
 十三ともなれば立派な大人。心配する歳ではない。

「取り越しが過ぐるとお思いか?」
 丁寧な口調で問うてきた。昔からそうであった。
 明智は外様のやうにて、其上謹厚の人なれは、詞常に慇懃なり。のちにそう記される男である。

「我が定命尽きなば、明智の家は改易、お取りつぶしのうえ放逐される憂き目を見るは必定」
「馬鹿な!」
 貞勝は声を上げた。
「これまでの滅身のご奉公を、上様が反故にするとでも思ってか」
「我が高禄を、この後も上様が赦したと思われるか?」

 信長は近年、右衛門尉(佐久間信盛)、新五郎(林通勝)宿老を相次いで粛正してきている。
 佐久間の一党はその領地を光秀が継いだことから、光秀が讒言なり、と恨みを持っているようだ。

「お手前は両名とはちがう。左馬助殿もおろうに」
「内蔵助(斎藤利三)へのなされようを聞いておろうに」
 光秀の宿老である斎藤利三は、美濃曾根城主であった稲葉貞通を見限って、光秀に召し抱えられた、との経緯があった。

 さる五月二十七日に、同じく稲葉から明智に召し抱えられた那波直治を再び稲葉家へ帰参させるように、との信長の裁定が下された。
 それあらば、斎藤利三のみが致仕を赦される謂われもない。 
 この沙汰に関して、利三は上様に恨みを含んだと聞いている。

 おそらく此度の襲撃でもまるで犬が放たれたように、信長ののど頸を狙って一散に攻め寄せたに相違ない。
 光秀家臣のうち、有用なる者は他家に召し抱え、明智の家を解体して領地を分け与えるとの沙汰は、非情な信長様ならばいかにもあり得る、と貞勝は思った。 

 同じ思いに激高したか、光秀が体を震わせ、床几が揺れた。
 その瞬間、貞勝の背後にひっそりと控えていた黒い影がぬっ、と立ち上がった。
 左右に控える光秀の侍者が、殺気を孕んで身構える。
「弥介!」
 貞勝は背後に声を懸け、制した。

 帷子に子袴、緋の直垂に包んだ異相の漢。
 名は弥助、身の丈六尺二分、身は炭のごとく、とその容貌がのちに記述されている。
 昨天正九年二月二十三日に、イエズス会東インド管区の巡察師であるイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、信長に謁見した際に、奴隷として伴った黒人である。

 信長の好みを良く察したヴァリニャーノが、必ず興味をもつと睨んでの随行であったが、彼の予想通り信長はこの黒坊主の肌は偽なり、として盥を持ちサボンにて洗わせたとされる。

 信長は、無辺など似非宗教家を見ると、その化けの皮を剥がずにおけぬ性質であったが、このときは洗えば洗うほど黒光りの増す黒人に驚喜し、家来としてもらい受けたという。 
 年齢は二十六,七で、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」などと言われた。
「これは、伴天連の黒坊主か」
 光秀は力のない双眸に一瞬、光が灯ったように見えた。
 貞勝はこれを機に、ここ数日の慌ただしい日々を思い返した。(続く)

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