見出し画像

「話の土台」を揃える

話のすれ違いは土台が違うから

窪塚洋介さん

先日、YouTubeで窪塚洋介さんの
ペンキ画家SHOGENさんとの対談、
さとうみつろうさんの対談を観た。
GTO、IWGP、好きだったなぁ。
そういえば昔好きな俳優さんの1人だった。
久しぶりに見た彼はやはり素敵だった。
そして釣られて
「窪塚洋介の人生攻略本」という本を買ったw

こちらの本の感想はまた別の機会に。

窪塚洋介さんを思いだしたついでに、
約20年ぶりに映画「GO」を観た。

それで中学生の頃のことを思い出した。

すれ違った母との会話

中学のとき
同じクラスに在日韓国人の男の子がいた。
名前から外国人であることは分かったが
日本語を話すし、何の違和感も無い。
彼自身、面白いし友達も多く
私にはただ魅力的なクラスメートという印象。

私の母がいつの間にか
彼の母親とママ友になってたらしく
ある日、彼のお姉さんの古着をもらってきた。
うちの子もう着ないんだけど
お宅の娘さんにどう?的な
ごく普通の田舎のやりとりである。
私好みのものもあり、
いくつかもらうことにした。

柔軟剤なのか家庭のものか
服から彼と同じ良い匂いがしたので、
「◯◯くんの匂いがする」
と言ったら、
「そんな失礼なこと言ったらダメ!」
と母が急に怒り出した。

私は失礼なことを言ったつもりもないし
何をそんなに怒っているのか
全く理解できなかった。

彼はとても良い匂いがしていて、
それと同じ匂いだったから
そう言っただけなのだけど
(あ、決して変態ではないですw)
母の中には「差別のバイアス」あったのか
「在日独特のにおいがする」
という差別的な意味に捉えたらしい。
「在日」という言葉や存在が
差別的な意味を持つ時代があった
ということを知ったのはそのあとのこと。
母の学生時代は差別があったのだろう。

しかしそもそも私には
在日韓国人が差別の対象になりうる
という認識がないのだから、
差別のしようがない。
私にとっては彼はクラスメートの1人。
そんな私を勝手な思い込みで
「差別的な人間」にしないでほしい
と思った。

バイアスによる話の土台の違い

受けてきた教育や育ってきた環境で
長年培ってきたバイアスがあると、
勝手にその方向で捉えて反応する。

誰もがそうだと思う。

例えばLGBTQ。
テレビではマツコさんやIKKOさんを観て
大学のときにはバイセクシュアルの友人がいて
アパレル時代は職場にゲイの先輩もいて
LGBTQをわざわざ意識するほどもなく
至るところに色んな人がいる。
私は「そういう人なんだ」で認識してきた。

ありがたいことに私自身は
いわゆる世間一般の中のごく一般人で、
マイノリティ故の差別を受けたことがない。
だから差別の痛みは当人ほど知らない。

自分には何の意味のない発言でも
相手には大きな意味を持つこともある。

逆に相手が何気なく言った一言に
とても傷つくこともある。

男女差別だとか
そもそも男と女という二極に
分けること自体が不快だとか
そんなつもりないのにとか
色んなコミュニケーションのすれ違いは
互いに話してる土台が違う

ということを思い出す必要があると思った。

あの時母に、
「何も失礼なこと言ってないじゃん。
 ◯◯くん良い匂いなんよ」
と言ったら、
母はすぐ自分の早とちりだった
と気づいたようだった。

失礼だと思ったらそれを言ってもいい。
その人にとっては失礼なことなのだから。
そして違うなら違うと言えばいい。

ぶつかってもきちんと背景を伝えるのは大事。
正解も不正解もなく、
人と人は土台を揃えれば理解できる、はず。

理解できなくても、死にはしない。
すれ違うときはどうやってもすれ違う。笑
生きてる世界線が違うんだな、
と理解すればいい。

今回もまとまりのない話でしたが、
GOを観てそんなことを思ったのでした。
いやーしかし
窪塚洋介さんカッコよかったなー❤︎

最後まで読んでくださった方、
ありがとうございます🌱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?