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「スリープ・オン・ザ・グラウンド」第28話

 静寂がこんなにも苦しいものだなんて思いもしなかった。
 図書室というのは大抵静かなもので、その静寂が心地良いものだ。それが今は苦痛で仕方がない。耐えられなくなって私は加賀美かがみ先輩に問いかける。

「未来はないって……。どういうことですか?」

 普段の先輩からは考えられない、暗く重たい言葉に私は身震いする。静かに参考書を閉じ、先輩は長く息を吐いた後で心の内を語り始めた。

「私、経済的に高校には通えないかもしれないんだよね。だから全然進路希望表が出せなくて……。でも周りの子は私の事情なんて知らないでしょう?
良い高校行けるよとか本でも出版して稼げばいいじゃんとか色々言ってくるのが辛かった。選びたくても私にそんな選択肢ないのに」

 穏やかな声の中に後からじわじわと体をむしばむような毒が含まれていた。
 百花ももか先生が先輩のことを気遣っていたのは単純に受験生だからではない。先輩の家庭事情を心配していたのだ。

 言葉は人をなごませる花にもなるし人を傷つけるやいばにもなるのだ。
 美しい言葉の花束を渡したつもりでも、相手が受け取った瞬間、むき出しの刃に変わってしまうこともある。

 私は先輩に花束を渡したつもりで、刃物を向けていたのだ。
 キラキラした先輩にキラキラしたストーリーを貼り付けて、勝手に先輩のことを知ったつもりでいた。ストーリー展開が読めるつもりでいたけれど……まだまだだ。
 私にはまだ想像力が足りない。未熟な自分が恥ずかしくて、先輩を傷つけてしまったことへの罪悪感でいっぱいになる。

「私引退したら小説は書かなくなると思う。何の役にも立たないし……」
「……!」

 本当に目の前にいるのは加賀美先輩だろうか。いや、加賀美先輩がそんなこと言うはずがない。
 眩暈が起こりそうになった。両足を踏ん張っていないと膝から崩れ落ちてしまいそうなほどの衝撃だった。

「本当は小説家になりたかったけど無理だって心のどこかでは分かってた。入賞止まりなんかじゃやっていけない。お母さんだって生きている間になれなかったんだから……」

 先輩はふーっと息を吐いた。己の心を落ち着かせようとしているのだろう。やがてゆっくりと話し始めた。

「これからはきっと働く時間と家のことで時間が無くなっちゃう。好きだったけど小説から離れなきゃいけないんだなと思うと……ショックだった。お父さんにも『そんな成功する確率が低いことは諦めて生活のことを考えろ』って言われて。その通り過ぎて何も言えなかった」

 私のお母さんの苛立った声が聞こえてきた気がした。図書室の風景を見てここは家じゃなかったと思い直す。私は首を振ると先輩の言葉の続きを聞く。

「たかが中学生の進路。他の人からしたら何でもないことだろうけど私にとっては人生を左右する大きなこと。
小説を取り上げられた瞬間、自分の未来が無くなったような気がしたの。それなのに卒業文集では『将来の夢』なんて書くんだよ?笑っちゃうよね。
若いから何でもできる?何者にもなれる?可能性は無限大?嘘ばっかり。私にはそのどれも当てはまらない。
未来が無い今の私ならお母さんが言ってた宝を守るために何だってできる。そう思ったんだ」
「……」

 先輩の声がどんどん潰れていく。気が付けば目に涙を溜めていた。その姿に胸が押しつぶされる。

「もう……全部どうでもいいの。小説を書いたって何の意味もなかったし、役に立たないって分かったから。学校でも社会でも物語を必要としてくれる人の数は少ない。これからもどんどん減っていくと思う。誰にも届かないのに書いてても辛いだけだから……」

 先輩の笑顔を真っすぐにみることができなかった。図書室の薄汚れた木目調の床に視線を落とす。
 
「恐竜は隕石が衝突したその一瞬で絶滅したんじゃない。環境が変わって、食べ物がなくなって少しずつ、じわじわと数を減らしていったんだよ。小説も私も同じ。……ただ滅びを待ってるだけ」

 私、先輩のこと何も知らなかったんだ。こんなに近くに居たのに。好きな小説の話であんなに盛り上がってたのに。
 家族のこと将来の葛藤。なんにも知らなかった。こんなにも辛い思いをしていることも……。
 もしかして先輩と私はそこまで打ち解けられていなかったのだろうか。そのことを深く考えようとすると悲しくなってきた。鼻の奥がツンッとする。

「ねえ。紬希つむぎちゃんはどうして小説を書いてるの?」

 私に付き纏うこの質問。いつもなら答えが出ず、私の心の中でスペースキーが連打されていくのだけれど今日は違った。
 一文字でもいい。下手くそでもいい。「空白」に言葉を埋めていこうと思った。
 
「私は……いつか誰かに私の物語が届くかもしれないと思って書いています」

 次に発する言葉を探して、頭の中にある私だけの辞書をめくる。

「もし誰かに届いたのだとしたら……物語を読んで良かったと思ってもらいたいんです。沢山の人じゃなくて、ひとりでもいい。
私の書いた物語が誰かの心の中に残って、現実を生きる希望とか癒しみたいなのになって……その人の中に物語が生き続けたらいいなと思って書いてます……」

 先輩が私がたどたどしく話すのを黙って聞いていた。
 上手く伝わっているだろうか……自信はない。文字にして人に伝えるのは得意だけど口から言葉を発して伝えるのはあまり得意じゃない。それでも今はなんとか先輩を励ましたい。

「そういうの全部教えてくれたのは先輩の作品でした……。先輩の作品を読んで衝撃を受けてもっとちゃんと小説書きたいと思うようになったんです……」

 私が本格的に小説を書こうと思ったきっかけは加賀美先輩だった。

 小学校の時、自分だけが読む自分のための物語をこそこそ書いていた。人に読んでもらうなんて考えたこともない。
 クラブ活動も母親や周りが期待する通り、音楽クラブに入っていた。楽器を演奏することも嫌いではなかったけど心はすっきりと晴れない。中学校でも吹奏楽部なんだろうなと考えていた時だったと思う。

 私は図書室に置かれていた『宝石』と出会った。

 魔女である生徒がクラスメイトの悩みを解決していくという物語に私は衝撃を受けた。あまりのクオリティの高さにお店で売られている本ではないかと目を疑う。
 くすっと笑えて時々泣ける。加賀美先輩の作品に出会って私の心が大きく動いた。
 そうか……。小説って人の心にこんなに影響を与えるものなんだ。
 このまま静かにひとりで書き続けるのもつまらない。私も先輩の作品みたいに誰かの心を変えるような作品を書いてみたいと考えるようになった。

 私は大きく息を吸うと、図書委員がいたら怒られるであろう大きな声を出した。

「だから小説が役に立たないなんて言わないでください!自分がやってきたことを否定しないで!先輩の未来は無くなってなんかない!ただちゃんと見ようとしていないだけであります!
小説を書き続けることができる未来もあるはずなんです!」

 先輩が硬直したまま私を眺める。敬語を忘れるほど私は感情的になっていた。いつも冷めてる私らしくない。瑠夏と和久君がこの場にいたらきっと驚いていたと思う。
 瑠夏が言っていたみたいに私は案外「熱い女」なのかもしれない。しかもただの熱い女じゃない。

 「好きなことに熱い女」なのだ。

 ボロボロと自分の目から雫が床に散らばるのを見下ろした後で、顔を上げる。

「いつか滅ぶと分かっていても……私は自分が小説を書いて生きていく未来を信じて歩いていきます。多分それぐらいのことしかできなくて、それでいいんだと思います……」

 心の空白に言葉を入れた後、真珠さんの文章が頭の中に浮かんだ。

頭の中で土の上に崩れ落ち、自分の体が朽ちていく光景を何度も見た。それでも未来を信じて歩く。



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