「スリープ・オン・ザ・グラウンド」第29話(最終話)
「びっくりした。紬希ちゃんってあんな大きな声だせるんだね」
暫く間があった後で加賀美先輩が口を開いた。鼻声ではあるものの、いつもの穏やかな先輩の声に安堵する。
「驚かせて……すみません」
「紬希ちゃんがそんなに熱い思いを持って小説を書いていたなんて」
「……」
改めて冷静に指摘されると恥ずかしい。急に頬が熱くなってきた。
「私の作品でも紬希ちゃんを心を動かすことができてたんだ……。だったら今まで私がやってきたことは全く役に立たない。無駄なことじゃなかったのかもね」
「はい。先輩は私の人生を変えたんです。先輩の作品に出会わなかったら小説を書こうと思わなかったと思います……」
「人生は大げさだよ」
先ほどまで張り詰めた表情をしていた先輩が肩を揺らしてくすくすと笑い声を上げる。その様子を見て私は体中の力がふっと抜けていくのを感じた。
「大袈裟なんかじゃないです!もしかしたらこのまま小説を書かないで人生終わってたかもしれません。お母さんはそっちの方が喜んでたかもしれないけど……そっちの未来だったら私の心はずっと不満で退屈なままだったと思います」
一度言葉が溢れだすと止まらない。さっきまで自分の頭の中の辞書をめくっていたのが嘘みたいだ。
「真珠さん……先輩のお母さんのお陰で小説みたいな面白い体験をすることができました。暗号文に宝探し……すっごく楽しかったです。さすがに窃盗団が絡んでるのには驚きましたけど」
「それは……そうだね。こんなに大きな出来事になるなんて想像してなかった」
先輩につられて私も笑う。
いつもの文芸部の活動風景が戻ってきて嬉しくもあり、寂しくもあった。きっともう二度と先輩と図書室でこんな風に笑い合うことはないのだと予感したからだ。
「私も信じてみようかな……『滅びぬ未来』を」
先輩は化石化した宝石が埋め込まれたバレッタを慈愛に満ちた眼差しで見下ろす。
アンモライトは先輩の手の中で生命力溢れる虹色の色彩を放っていた。
「じゃあね。紬希ちゃん。今日までありがとう。一緒に活動できて楽しかったよ」
図書室を出ると先輩はパトカーの方に向かって歩いて行った。
私は先輩を見送った後、先輩が向かう方角とは逆の方角。グラウンドに向かって歩く。
ざらざらとした白い砂の上。
誰もいないグラウンド。日が落ちて、空が燃えているような赤っぽいオレンジ色になっていた。今にも隕石が落ちてきそうな……そんな雰囲気を感じるような色をしている。私の目の前には世界の終わりみたいな光景が広がっていた。
ひとりでグラウンドを歩きながら私は絶滅を前にした恐竜の気持ちになる。
よく考えてみれば、恐竜と私は似ている。
小説を書く仲間。楽しむ仲間がいなくて途方に暮れている。文芸部も廃部寸前だし。
「わっ!」
今まで緊張していたせいか、グラウンドの土に足を滑らせて私はそのまま尻もちを付いた。
誰もいないのをいいことに土の上で大の字になって寝転んだ。そのままそっと瞼を閉じてみる。
このままずっと動かずに眠っていたら私の上に土がかぶさって……それが何重にもなって……私も学校の地下で眠っていたような、あの化石みたいになるんだろうか。
これから先、私は何度も絶滅の危機に瀕するかもしれない。
先輩みたいに好きなことを取り上げられて、未来が見えなくて、絶望して。全てがどうでもよくなるかもしれない。
「紬希~!」
遠くから瑠夏のよく通る大きな声が聞こえてきた。
私は目をぱっと開けると、ゆっくりと体を起こす。
旧校舎から出てきた瑠夏と和久君が大きく手を振っているのが見えた。
これから私の未来がどうなるかなんて分からない。
直木賞を取ることなく、凡人の中の凡人になっている可能性の方が高いはずだ。
小説を書く私を見てお母さんは嫌な顔をして小言を言うだろうし、お父さんは困ったように笑うだろう。
そして大人達はまた『将来の夢は?』と興味もないのに聞いてくる。
それでもきっと私は小説を書き続けるだろう。ストーリー展開になぞらえて考えれば当然の結末である。
土の中で眠るにはまだ早い。眠るんだったら今はまだ土の上だ。
私は背中についた土を払うと、ふたりの元へ足を踏み出した。
「じゃあ適当に好きな本でも見つけて読んでて」
小花柄のスカートとふんわりとしたブラウスを着た女性教師が真新しい制服に身を包んだ生徒達に指示を出す。新1年生に向けた図書室の利用方法を学ぶオリエンテーションの真っ最中だ。
(適当な先生だな)
制服の裾が余っており制服に着られているような男子生徒は呆れていた。
読書は好きだが最近ちゃんと読めていなかったことに気が付く。部屋に充満する紙の香りを嗅ぎながら、ふらふらと図書室を歩いた。
ふと、視線を向けた先に気になる物を見つける。
それはカウンターの横に並べられた手作り感満載の冊子だった。よく見れば色んな人にページを捲られたせいで厚紙の表紙がたわんで皺ができていた。
「『宝石』……?」
引き寄せられるように冊子を手に取る。
「……」
それから夢中になってページをめくった。
小説は主人公が自分の部屋に残された暗号を見つけることから始まる。その暗号を解けば自分の本当の夢が見つかるというものだった。
時々くすっと笑えたり、緊迫した場面に瞬きを忘れたり……。じんわり胸が熱くなる場面もある。突然『夢を専門に盗む窃盗団』なんてものが現れた時には驚いたし面白いと思った。
印象的な一文が書かれたページまでやってくると、男子生徒はページをめくる手を止めた。
「……?」
男子生徒は不思議な言い回しに首を捻る。
意味が分かるようで分からない。
物語の中で主人公が夢を見つけるまで死にたくない、という意味で発言しているのは分かっている。ただの比喩かと思いきや、その一文から温度を感じるから不思議なのだ。生々しいというか、リアリティがあるというべきか。
本当に土の上に寝転んで自然と出た言葉のような……。そんな感覚が伝わってくる。ストンと胸に落ちる印象深い一文だった。
「ああ。それ面白いでしょ?うちの……文芸部の生徒が書いた作品なの」
「わあっ!」
物語に集中していた男子生徒が驚いた声を上げる。いつの間にかカウンターの椅子に国語の女性教師が座っていた。机に頬杖をつきながら笑顔を浮かべている。
男子生徒は咳ばらいをすると恨めしそうに女性教師を睨む。自分が驚いているのを楽しんでいるのが気に入らない。
「うちのって……先生、文芸部の顧問なんですか?」
「そうよー。なかなか面白いでしょう。文章を読んで生徒達の成長を感じるのが楽しくて。忙しくてじっくり向き合えないのが悲しいところだけどね。本当はずっと読んでたいぐらいよ」
部活動をサボっていそうな雰囲気の女性教師だったがどうやらそうではないらしい。
(意外に真面目なんだ)
確かにここに掲載されている作品は面白い。ずっと読んでいたくなる気持ちが分からなくもない。
「すごいな……そんなに年変わらないのに。こんな面白い作品が書けるなんて」
「良かったら入部してね」
「えー……。文章書くの苦手なんですよ」
男子生徒の鈍い反応に女性教師は続けた。
「書くのも楽しいもんよ。苦しい時もあるだろうけどね。自分を癒すこともできるし、人を癒すこともできる。奥が深ーい活動なの」
女性教師が立ち去っていくのを見送ると、男子生徒は再び『宝石』のページをめくる。小説のタイトルがなんだったか忘れてしまって、ページを遡った。
入部するかどうかはさておき。小説のタイトルと作者を心に留めておこうと思ったのだ。
小説の表紙には大文字でこんな風に書かれていた。
『スリープ・オン・ザ・グラウンド 作:3年3組 氷上紬希』
了
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