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上白石萌音、その艶歌的表現。

一言で言えば、いや、恐れずに言えば、といったほうがよいか。
上白石萌音の声とその表現の伸びやかさは素晴らしいの一言に尽きる。

彼女は「君の名は。」で一躍その声の魅力に気づく人たちが増えた印象がある。正直、僕は「君の名は。」は観ていないし、知らない。

彼女の歌から発せられる世界は伸びやかにテクスチュアを伝えてくれる。
それはテクニックやギミックではない、その人が持つ息遣いと体温をほのかに伝えてくれる。

空のうえを澄んだ空気が流れていくその様、
そばにいる大切な人のやわらかな髪の匂い、
伝えられることの多さが彼女の表現の特徴だ。
伝えるとは「うれしい」「悲しい」「愛してる」なんていう感情の大小をいうのではない。景色や風景やその人の佇まい、息遣いなどが見えるし聞こえると言うことを言いたいのだ。テクニックではない。

僕が上白石萌音の歌を聴いて鳥肌がたったのは、石川ひとみの「まちぶせ」を歌ったものを観たとき。
石川ひとみの代表曲として有名な「まちぶせ」だが、僕は石川ひとみ本人の歌も近くのショッピングセンターにイベントで聴いたことがある。伸びやかな高音に感動した。
彼女がいまでも現役でいてくれる数少ない歌手であることがうれしかった。

いっぽうで上白石萌音のバージョンはバンド的表現をしている。2ビートに落とし込んだり、と昭和歌謡の現代的な解釈と言ったらよいのだろうか。
上白石萌音はその解釈を引き受け、石川ひとみのようにでない高音を意識してほのかなスモーキーヴォイスでサビを引き受ける。大人たちに色々と要望を言われたのだろうが、彼女の表現で成り立っているのが凄みを感じさせる。

先に動画を貼っておいたのだが、イントロからAメロに入るときに2ビートになるのだが、聴き方によってはリズムのオモテとウラが入れ替わってしまい、入り方を失敗しがちである。

しかし、上白石萌音はその難題をなんなくクリアしている。
「んぱんぱ」とリズムを歌っている箇所があるが、リズム的にはまったく危なげなくフラフラしていないことがわかる。音楽を理解する過程においてある程度の「基礎」を理解していかなければならないのだが、それが苦にならない人なのだと思われる。

僕自身、プロのミュージシャンを目指していたことが若い頃あって、16分音符を細かく細分化して理解したりすることに随分と時間が掛かったりもした。僕自身と比較しても彼女はただ上に乗っかって歌を歌っているわけではないようだ。

「まちぶせ」という情念の歌を歌いあげる石川ひとみとは違い、上白石萌音はその情念をより進化させた表現にした。それは恋愛には奥手そうにみせている彼女自身のキャラクターを裏切る形で「っ、あーーー♡」とため息を入れるところなどはその真骨頂であろう。

歌の中の彼女は好きな男を振り向かせるために色々な姑息ともいえる手段を講じるというのだが、そんな悪女の部分に自分自身で酔っているのだ。これは石川ひとみのバージョンでは考えられなかったものだ。

「他の人がくれたラブレターを見せたり」「帰り道でまちぶせをしたり」自分の考えた作戦にうっとりと酔ってしまう、怖い女。その意地の悪さを自覚していながら、快感を感じてしまう。

2番目の歌詞に「他の人がくれたラブレターを見せたり」というくだりあるのだが、上白石萌音はその女になり替わり、聴くものに説明する。
自分はこんなことを考えていて実行しようとしている、と。その告白めいた感じがさらに恐怖をそそる。ある意味、舞台の演出である。

こんな見るべきところが無数にある、上白石萌音の歌は面白い。

あたしの歌を聴いてくれてありがと~的なものは微塵も感じられない。ひとつの表現として、観客に提示するところがいかにも上白石萌音という人間のもつ表現者としての大きさといっても良いだろう。平気でイメージを裏切ることができる。だって偶像なんだから。どんな「容れもの」にもなるという覚悟といってもいいのだろう。

ただ、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」はやめたほうがよかった。

原曲以上の世界観を作り出すことは、はっきり言って無理だと思う。そこまでいけば太田裕美の声真似をするしかなくなってしまう。太田裕美以外はこの曲に関しては彼女以上の世界を提示することは無理だと断言してもいい。だって、恋人同士の返歌なんだからそれ以上の世界があったら逆に教えてもらいたいものだ(笑)
そもそもが「閉じた世界」の歌だから後世の人間からすれば歌メロをなぞるのに終始するのは致し方ないだろう。松本隆のほくそ笑む顔が思い浮かんでしまう。一度、NHKの「SONGS」で真心ブラザーズが歌っていたがその酷さに辟易した。

上白石萌音はチェットベイカーが好きだと言っていた。

あの中性的な表現、特に「マイファニーヴァレンタイン」の同性愛的な表現はチェットベイカーにしかできない芸当だ。荒んだ生活の中の仄かな明かり。鼻の高さがギリシアの彫像よりもないといいながら、好きなあいつについて語る様は圧巻。その表現について共感できれば、ある意味演出方法や自己プロデュース力には長けているといっても良いだろう。

まあ、上白石萌音についてまわる話だろうが、どうしても俳優が片手間に歌もやっているというイベント的な扱いが続くのだろうと思う。ジャンルはアイドルに振られたりするんだろうな。日本人には聞かず嫌いというのも多いし、ジャンルによってカテゴライズするというのも国民性でもある。

ただ、彼女の声の艶やかさは彼女が表現するその世界はまぎれもないホンモノであるし、その世界を表現するという大切さを忘れてほしくないものだ。よくテレビ番組でカラオケで100点を目指すなんてことをやっているけど数値化できる世界だけが良質とは限らない。

7オクターブの声が出たって表現できないことってたくさんある。声量があるからといって世界観を提示することができないことだってたくさんある。

上白石萌音の艶歌的な表現には正直、僕は参ってしまったのである。

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