明日もまた、顔も知らないあなたに会いに。
noteをお店に例えているのをよく目にしていて、なるほどここは色んなお店が並んだ街なんだなぁと以前思った。
そして最近ふと、自分の生活にnoteが組み込まれていることに気が付いたとき、こんなことを思った。
朝の通勤時間前後、お昼休みの時間、夜の仕事帰りの時間。その3つの時間帯が読んでもらいやすいタイミングというのはよく聞くことで、毎日更新の方がアップする時間もそのあたりが多い。
すると自分もなんとなく、そのあたりの時間にnoteを開くことが増えてくる。
私のルーティーンは、朝、子供たちにご飯を出して、洗濯機を回すとか何か一仕事済ませたら、台所で立ったままささっとコーヒーを飲むということ。
そこでnoteを開いて、あ、あの人今朝もアップしてるな、タイトル気になるな、あとで読みに来よう、なんて思う。
そこから遡って深夜の投稿を見るとまた見慣れたアイコンがあったりして、そうかぁ、そんなことが昨日はあったのね、なんて思ったり。
はたまたフォロワーさんがたくさんいるTwitterで、盛り上がってる話題に乗っかって一言コメント残してみたり、リプのやりとりにお返事したり。
コーヒー飲み終えてスマホを閉じて、また日常に戻る。ああ、なんだか仕事に行く前に立ち寄るカフェみたい。
夜、会社帰りの電車でnoteを開く人は、駅から家までの道で気になる立ち飲み屋にふらっと入るみたいな、顔なじみのマスターがいる小さなバーに入るみたいな、いつも変わらない味の定食屋でお腹満たしていこう、みたいな。そんな気持ちかもしれない。
クリエーター一人一人に個性があって、色があって、それぞれになんとなく、自分なりのイメージを持っている。
自分がいつもその人のnoteに立ち寄る時のイメージを紐解いていくと、その人のnoteから醸し出される雰囲気、照明の感じとか、インテリアの感じとか、出してるメニューや商品はなんだろうとか、頭の中で具体的になってくる。
今日は更新してるかな?ああ、そうだ毎日やってるんだった。今日も寄って、ホッと一息させてもらおう。ちょっと楽しい話を聞いてこよう。同じ趣味の話で盛り上がってこよう。そんな気持ちでふらっとnoteを開いてる。
そこに毎日あることの安心感。
会ったこともないどこかの誰かの場所が自分の日常に組み込まれる不思議。
毎日更新するのは大変なことだと思う。
時間の捻出にネタ探し。仕事が忙しいとか子供の体調不良とか、睡眠不足とか。それでも自分のお店を持ち、コミットする。すごいことだ。
「何のためにやってるんだろう…?」と迷う日もあるだろう。大変さに見合う見返り(スキ)がない…なんて思ったりするかもしれない。
でも間違いなく、誰かの日常にあなたがいるよ。
誰かのそういう存在になるって、なかなかできることじゃない。
少なくとも私の日常にはいつの間にか、陽だまりのテラス席や、間接照明のおしゃれなバーカウンターや、毎日工夫を凝らした創作料理の食べられるお店が、存在しているよ。
あちこちに顔を出して、読み切れず溜まっていくnoteがもどかしくもあるけれど。
それでもまた明日も、会いに行きますね。
子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!