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この仕事

何年も前から左足首に違和感を覚えるようになった。

正座がしにくく、歩くのにもたまに覚束なさを感じる
ことがある。なぜだろう?と考えていたらどうも10代の
頃ひどい捻挫をしたことが原因のように思う。

高齢で足首が変に弱かったり曲がって歩くことが困難
だったりする方がいるのはこんな理由があるのかも
しれないと思い至る。

大して気にすることなくやり過ごし、治したと疑いもなく
いた頃のダメージが忘れはてた頃に表れてくるなんて。

足だけではない、身体のどの部分が傷ついてもそれは
歪(ひず)みとなってしまうのだろうと思った。

まっすぐ自由に軽快に動けなくなるにはそこに
それなりの理由がある。目に見える身体も目に
見えない心も、自分がいた(痛・傷・悼)みを
経験してやっと上辺ではない理解や優しさへと
近づいていく。

私は自分が幼少期から人とうまく関われずにきて
社会での人間力のなさにずっと悩みを持っていた。

あるしたいことがあって、そのために豊かな血と
なり肉となる力を得たいと思い飛び込んだ世界。
介護の仕事を通してそこが培われるのではないかと
思ってのことだった。

予想通り介護は私にとって天職というよりこれ以上ない
苦行の場であり心の傷に触れて苦しんだり失敗が
また傷を作りという自分には最もできない向いてない
仕事だった。今でもそうだ。

ただできるできないは別にして、私にとって人間として
自分の無知さや至らなさを教えてくれる。

当初の目的は果たしている・・らしい。

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