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現実に適応できなかった僕ら、偽物の世界をくれた君、偽物で現実を塗り替えてしまった僕ら

今日、BEMANI SYMPHONY 2022 昼公演を観覧しました。

「音ゲー」と「シンフォニー」の融合……あくまで主張し合うDJの電子音楽とgaQdanの生演奏の、奇跡的な調和が織り成す舞台でした。

従来より、EDPのライブではコンポーザーが舞台に立つことが多いのですが、時にはコンポーザーは機材の操作も忘れ、ただ盛り上げ役に徹することもあります。エフェクターの音も前撮りしているのではないかと思うことがあります。ある意味「偽物のDJ」ともいえるでしょう。この場合の「偽物」とは、ある種音楽シーンにとっての異文化である「ゲーム文化」が、現実の音楽シーンを真似てつくる演出等を指します。

BEMANI SYMPHONYも、そうした意味で「偽物のオーケストラコンサート」なのかもしれません。
今回の演奏を担当したgaQdanのパフォーマンスは、(少人数アンサンブルなので)指揮者がいなくても成立します。そんな舞台で、wacさんが自由奔放に振り回すタクトの数は、会場の盛り上がりに比例して2、4、6本と増えていきました。
楽曲のアウトロで無音になっても拍子を刻み続けるwacさんの指揮は、まるでリザルト画面を待つ無音の間、無意味に画面上を流れる小節線のようで、実に音ゲー的な演出だと感じたのを覚えています。

「偽物」は実に音ゲー的です。

BEMANIシリーズのゲームは、多くがシミュレーションゲームの形式をとっています。DJになりきったり、ギターやドラム、ピアノの演奏を体験したり……
beatmaniaIIDXに収録されている音楽はしばしば、実際のクラブシーンとノリが違うと言われてきました。「指先のグルーヴ」、「音ゲーコア」という表現をした人もいます。

私たちは、なぜ「偽物」である音楽ゲームをこうも愛し、それに対し本気になり、人生を捧げることができるのでしょうか。
それは他ならず、「本物だけでは見られないものを見せてくれるから」ではありませんか。

今日「偽物」と「本物」は渋谷公会堂において新たな「現実」を作り出したと思います。
会場にいらっしゃるお客さんの格好はさまざまでした。いつものEDPライブのようにオリジナルTシャツやパーカーを着てきた方、コンサートにふさわしいフォーマルな服装でいらした方、こうした対面でのイベントそのものが初めてで私服でいらした方、最高の舞台を最大限楽しむために気合を入れてオシャレした方……。
ペンライトの使用にも多様性が見られました。これまでのイベントと比べるとペンライトを振る人の数は少なかったように思います。私自身、オーケストラのコンサートでペンライトを振ることはあまり考えておらず、事前物販ではペンライトを購入しませんでした。
さらに、アンコール演奏の終了後にあることが起きました。冥の演奏があまりに素晴らしく、観客の数人が立ち上がったのです。逆に言えば、他の何百人の皆さんは立ち上がろうとしませんでした。ステージの上に出演者が並び、恒例の告知を始めるところだったからです。

その場にいた全ての人々が、それぞれのやり方で、BEMANI SYMPHONYを楽しんでいました。

私ははっきり言って、世間の多くのライブイベントなどというものは、同調圧力の賜物だと思っています。
ペンライトの色は合わせなくてはならない。演奏される曲目は予習して、決められたとおりにコルレスを演じ、ペンライトを振らなくてはいけない。それでいて、CDを買っていないと予習ができない曲目もある……。

EDPのライブではあまりそのような同調圧力は感じません。
今日も知らない曲かかったし。ペンライトの色だって、曲知ってる人と知らない人で違うことあったし。そもそも冥の色ってどれなのか分かんないよね。VALLIS-NERIAだって、映像とライティングが赤だったからペンラも赤にした人多かったんですよ、ジャケのイメージで白にした人もいましたけど……。

ライブの楽しみ方は人それぞれです。コンサートの楽しみ方だって人それぞれなんです。
「本物」は確かに正しいです。でも、間違いを許してくれません。あなただって、「偽物」の作り出す新しい面白みに魅せられて、気づいたら〇年も経っていたわけでしょう。
私たちがずっと愛し続けた「偽物」は、今日、オーケストラという「本物」と融合し、新たな価値に昇華したのです。

現地で参加された方はお疲れ様でした。


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