ホームランの像には場の空気の変化があると04月17日に改めて思い描く

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、野球のホームランについて、記します。

2022年04月07日(木)、明治神宮野球場での中日ドラゴンズ戦で、中日の7番石川昂弥、8番京田陽太が連続ホームランを放ちました。
試合にも勝利。特に連続ホームランの際、レフトスタンドのみならず中日ベンチもお祭り騒ぎだったようです。
改めて、ホームランって簡単に実現するものではないものの、単なる得点ではなく場の空気にも大きな影響を与えるものだと実感しました。

その、ホームランは場の空気を変えるということについては、実際に経験して実践もした人物が中日のコーチを務めています。

さかのぼって37年前の1985年04月17日。阪神甲子園球場での巨人戦がありました。2022年も同様のカードであり、再現を期待した人も多かったはずです。
阪神の3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布が連続で巨人槙原寛己からホームランを放ちます。
特に阪神にとって巨人は絶対負けたくないと思う人も多く、多くの阪神ファンが熱狂したものでした。
さらにはこの年阪神は日本一になっており、その象徴のワンシーンとしてはピッタリなのでした。

そのバックネット裏に座っていたひとりが、中村紀洋。

当時は11歳(小学6年生)であり、受けたインパクトは相当のものでしょう。
私が11歳の時は、山崎武司がナゴヤドーム最終戦で逆転サヨナラ3ランホームランを放ちました。優勝した1999年を語るに欠かせないシーンです。

中村紀洋はその後自身の野球の実力が高まり、近鉄バファローズに入団してプロ野球選手となります。
2001年には4番として46本のホームランを打ち、リーグ優勝に貢献します。

三重県に最も近いパ・リーグのチームである大阪近鉄でホームランを放つ中村紀洋はかっこよく、中日に来ないかなと思っていたら、2007年に本当に来ました。育成選手からのスタートでも前向いてプレーし、終わってみれば日本シリーズMVPでした。
小学生の時のパ・リーグのホームランバッターは、大学生の時に中日で日本シリーズMVP。感慨深いものでした。

この時に立浪和義と仲良くできていたことが一因となり、2022年から中日にコーチとして復帰します。
サードを守る石川昂弥には、現役時代の自分自身を投影しているものと思います(変に押し付けるのはダメですが)。

2007年に選手として、2022年からコーチとして中日に復帰した人物は中村紀洋のほかに小田幸平も該当します。
なんと、小田幸平も1985年04月17日、阪神甲子園球場での巨人戦を観戦していたのです。2007年よりも前の1985年、中村紀洋と小田幸平は阪神ファンの少年同士として同じ場にいたことがあったのです。
『ODA52』の56ページです。

小田はホームランは少ないタイプでしたが、逆にキャッチャーとしてホームランを打たれることの重みはよくわかっているはずです。
打つこと・打たれること。この両面を知り、語り継がれるシーンをその目で見ているふたりが中日の選手たちにシャワーを浴びせてくれることを期待しています。

最後に。
中日の本拠地バンテリンドームナゴヤは広くてフェンスも高い。ホームランが簡単に出る環境ではなく、テラス設置でそのハードルを下げようという向きもあります。
私はこれには反対です。可能であれば鵜飼、それこそ石川昂弥にそれ以上のパワーがあるバッターになってほしいとも思っています。

なにせ、中日がドラフト指名した選手でただひとりだけシーズン30本打った福留孝介選手がいるわけですし。

ありがとうございました。


サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。