2003年05月21日(水)

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、2003年05月21日(水)のできごとについて、記します。

今日は2023年05月28日(日)。
プロ野球は、バンテリンドームナゴヤで中日主催試合として横浜DeNAベイスターズ戦が開催されました。

これを見て思い出した日付があります。
ちょうど20年前の、2003年05月28日(水)です。

私は1988年生まれでありちょうど中学3年生になります。高校受験が徐々に近づくもまだ1学期であり、それよりは修学旅行といった感じの日々でした。

その中で、どうしてこの日付が記憶に残っているか。
それは、夕方買い物に行ったシーンが色あせないからです。
と言ってもこれは正しくは05月21日(水)でした。水曜日だったのははっきり覚えているのですが、再度調べたら前の週でした。

学校から帰宅後、しばらくしてからひとりで近所のスーパーに買い物に行きました。この05月下旬は夕方が涼しい時期で、適温と言っていい空気の中を自転車で走ります。
夕方と言っても19:00を回ったころです。買い物を終えて外に出て、駐輪場に置いてある自分の自転車のもとへ歩いていきます。
すると、店先で流れていたラジオからプロ野球中継の音声が流れていました(ガッツナイターかドラゴンズナイターかは定かではありません)。

そこで流れていた応援歌が非常に印象的なメロディであり、思わず足を止めてしまいました。
歌詞は以下の通りです。

「目の前にいる敵を一撃で蹴散らせ飛ばせ遥か彼方見せつけろタイロン」

そう、横浜のタイロン・ウッズの応援歌です。横浜の試合ですが、ラジオ音声が三重県に流れています。
最後の「見せつけろタイロン」の部分のメロディが、心地よく吹く風とピッタリ合うような気がしました。

2003年から横浜の監督が山下大輔になり、ドラフト自由獲得枠で村田修一を獲得しセカンドのレギュラーに据え、サードには昨年度から成長の兆しが見えていた古木克明が躍動するなど、破壊力重視の怖いチームだという印象でした。
阪神が開幕から絶好調でありながら横浜も独自のチームカラーを出していて、セ・リーグ他球団を楽しんで見れていた時期でした。
逆に中日にはあまり大きな期待をしていなかったのも正直なところです。
後味が悪いできごとも起こりましたし、その関係で獲得した新外国人アレックス・オチョアが入団して不動のセンターとして活躍してはいましたが、前年限りでレオ・ゴメスが退団したためホームランはあまり多く打てないアレックスに物足りなさを感じていたのも事実です。
現在となってはアレックスは優秀な選手だったと思いますけれども。

さて、その2003年05月21日(水)横浜スタジアム中日戦はどのような試合だったのか。
プロ野球全試合記録さんにてスタメンを調べたところ、以下の通りでした。

横浜
(中)金 城
(遊)内 川
(左)鈴木尚
(右)ウッズ
(一)コックス
(三)小 川
(二)村 田
(捕)中 村 
(投)川 村

中日
(中)アレックス
(遊)井 端
(右)福 留
(三)立 浪
(左)関 川
(捕)谷 繁
(一)渡 邉
(二)荒 木 
(投)紀 藤

スタメンの名前をキーボードで打っていてノスタルジックな気分になってきました。昨年までは現役を続けていた選手がいますが、現在は全員引退しています。
中日先発の紀藤真琴のあとをついだ山北茂利は後年横浜に所属します。一方で横浜のタイロン・ウッズは中日に移籍しリーグ優勝、日本一に貢献するというように選手の動きにも縁を感じます。その前の谷繁元信、中村武志がまさにそうですし。

中日はスタメンが渡邉である一方、森野将彦がファーストで途中出場するのは意外性があります。
横浜のサードは2003年の象徴と言える古木克明ではなく小川博文がスタメンで出場しています。
そして4番バッターはタイプこそ違いますが、偶然にも両チームとも1969年08月19日生まれです。

05月下旬の段階で、横浜のタイロン・ウッズが16本のホームランを打っています。鈴木尚典も既に10本は打っています。
中日も福留が既に11本のホームランです。

それから20年の月日が流れました。
1983年→2003年も、2003年→2023年も同じ20年の月日ですが、世の中の変化の度合いが大きいのは前者ではないでしょうか。
もちろん2003年当時スマートフォンはありませんでした。TwitterどころかFacebookも登場前であり、インターネットも完全に匿名の文化だったように思います。
とは言え、インターネットは完全に確立されていましたし、2003年は遠い昔というようには思えません。

ただ、当時中学生の私はどこまで信じるでしょうか。
中日はその年限りで山田久志監督は解任されてしまうけど、次の年から落合博満監督のもと黄金期を迎える。
初のセ・リーグ連覇も成し遂げ、日本シリーズで勝ち越して日本一の胴上げも実現する。
ただ、そのあとBクラスに沈みっぱなしとその横浜のような状態になっていく。
パ・リーグは次の年に大阪近鉄が消滅するも東北楽天の新規参入により20年後も12球団が維持できている。
自分が高校3年生夏の甲子園決勝は球史に残る大熱戦となる。
その片方のピッチャーがプロ野球で24勝0敗という記録を作って日本一に貢献する。
そのピッチャーは次の年からニューヨーク・ヤンキースの先発ローテーションに定着する。
そして自分自身もアメリカに彼が投げる試合を観に行っている。なんとか英語話せたのも、当時英語の勉強頑張っていたおかげ。最終的に英検は2級に合格できている。
その後、投打二刀流というアニメの世界でしか見なかった存在が現実世界で大活躍。北海道に移転した日本ハムの日本一に貢献して、彼もMLBで大活躍。
野球全日本はワールドカップのような世界大会で世界一の座にも複数回輝いている。
2017年見るとぶったまげるはず。セ・リーグでは広島と(ビッダーズ運営しているIT企業に買収された)横浜が日本シリーズ進出を争い、巨人と中日が仲良くBクラスという2003年から見れば信じられない現象が起こっている。
横浜のタイロン・ウッズの応援歌に聞き入ってしまっただけあり、タイロン・ウッズは中日に移籍してきてパワーを見せつける。
そして、三重県から横浜に指名される選手が登場し、故郷愛が膨らんでユニホーム買うことになる(伊藤裕季也のことです)。
でも、横浜スタジアム中日戦に何回も観に行くが全試合レフトスタンドから中日のビジターユニホーム着て観ている。

大学は実家を出る選択をした。三重県好きだけど、妙な負けん気が出てきて外から三重県を見ることを選ぶことになる。
浪人することなく大学生になっているが、20歳のころに金融大不況が発生し、一時的に自民党が野党になる。
さらには世界史に残るレベルの大災害が日本で発生してしまう。
就職活動は簡単じゃないけど、強さを持っていればなんとかなる。そのおかげか、結果的に走り続けられている。
32歳になるころには平成の世も終わり、パーソナルなところでは他社の人から大きな影響を受け、転職活動に躍起になる。
その当時の社会情勢は病原菌が世界規模で蔓延している。影響力の大きさは2003年当時の新型肺炎SARS以上。
あとは株の知識がついて複数社の株主になっている。株買えるぐらいのお給料稼げたとも言っていい。

そして、その決断の後悔はないと言っていいぐらいであり、アラフォーになっていく日々を過ごしている(父親になっていないのは残念ですが事実ですし)。

2003年は三重県の中学生、2023年は東京都の社会人と離れた土地ですが、私は05月下旬の涼しい夕方を過ごし晴れやかな表情になっています。

2043年はどうでしょうか。私は生きていれば還暦が近づいてくる頃です。
本当に、プロ野球が現在の形で続いていてほしいです。
そして、個人的にはまた同じように中日ドラゴンズと横浜DeNAベイスターズの試合があってほしいですね。2023年の05月、そして2003年の05月に思いを巡らせたいです。

ありがとうございました。

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