内川聖一糸井嘉男

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、プロ野球元東京ヤクルトスワローズ内川聖一選手と、元阪神タイガース糸井嘉男選手について、記します。

2022年のシーズン終了をもって現役生活にピリオドを打ったふたりですが、偶然にも共通点がとても多い。

・ドラフト1位指名でプロ野球選手になる(糸井は自由獲得枠ですが実質的な1位指名です)
・首位打者のタイトルを獲得する
・FA宣言し、かつてファンだったチームに自分の意思で移籍
・侍ジャパンに選ばれる

ただ、そのような輝かしい活躍をした一方で、プロ入り数年後には壁にぶち当たりアマチュア時代守っていたポジションから離れざるをえなくなりました。
思っていた形にスムーズになったわけではないのです。

そして、コーチとのとてもいい巡り合わせから、バッティングの才能が開花しレギュラー獲得に至りスター選手への道が開かれたのでした。
運と努力の掛け算だったのです。

内川聖一・杉村繁

2006年に横浜でレフト、セカンド、ファーストで124試合に出場しレギュラーを獲得したかと思いきや、2007年は92試合出場に留まり、確固たる立場ではなかったのです。
この2006年の124試合出場、115安打、打率.286がそれまでのキャリアハイであり、スター選手とは思えない状態でした。
2007年には、成績が下降しうまくいかず実父実母を前に涙してしまうこともあったのでした。
『内川家。』にその記述があります。

https://www.amazon.co.jp/内川家。-赤澤竜也/dp/4864101558

しかし2008年の成績は、135試合出場、189安打、打率.378でセ・リーグ首位打者獲得と、まさに別人といっていいものでした。
この大飛躍は、2008年に横浜のコーチに就任した杉村繁の指導抜きには語れません。

杉村は前年まで東京ヤクルトのコーチをしており、同年から同リーグの横浜に移ります。監督の大矢明彦(元ヤクルト)とのつながりが関係していると推察します。
別のチームから客観的に内川を見れていて、それを伝えたところから始まりました。

文中を引用すると、

「ポイントを前にして、レフト方向を中心に強い打球を打ちたいんです」

 そう答えた内川を、杉村は

「お前、バカか」

 こう一蹴したという。

高校通算43本のホームランを放ち、打撃力を評価されてドラフト1位指名を受けてから過去07年プロ野球選手としてやってきて、自身の実績が評価されなかったのでした。
しかし、内川もこのままではレギュラーに定着できない。いやそうじゃないと思うだなんて言っていられない。

強い思いでやる状況とも重なり、杉村の指導通り練習に励み打撃スタイルを変えていきます。

早出で毎日1時間、昼過ぎから杉村と内川の練習がなされていたことがわかります。結果が上述の通り、135試合出場、189安打、打率.378でセ・リーグ首位打者獲得。

私は後者のzakzakの記事が特にお気に入りで、内川のモチベーションを上げる言葉を杉村コーチ、そして後年になり妻の翼さんが発しています。
2009年のWBCがきっかけで内川と翼さんの縁が始まったわけであり、杉村との巡り合わせは本当に大きな意味がありました。
杉村も短所の指摘のみならず、本人の気持ちを乗せる言葉も添えることでうまいこと指導したなという印象を持ちました。

2011年から福岡ソフトバンク、2021年から東京ヤクルトに移ったのちに2022年シーズン終了をもってプロ野球選手を引退したのでした。
10月03日(月)の引退試合は横浜DeNAとの試合でした。UCHIKAWA#2のユニホームがレフトスタンドに見えるものでした。

22年間のプロ野球選手生活と明らかに長い部類に入る内川ですが、08年で終わりかねませんでした。
思いつめた内川は、2007年オフに実母にこう言ってしまいました。

「来年ダメなら野球やめるかもしれない」

熾烈なプロ野球の世界。来年もプレーできる保証はありません。そんな環境にいる息子に対して励ますかと思いきや、

「いいじゃないの。やること全部やってダメだったら、嫌いになるまでしなくていい。大分に帰ってきなさい」

と、予想していない答えが返ってきました。

これでズルズルといかずに済んだということでしょうか。翌年からの大躍進につながります。

実は、ベイスターズではドラフト1位指名選手がなかなか実力を発揮できず、同じようにシーズンオフに、

「来年ダメなら野球やめるかもしれない」

と言ってしまった選手がいたのでした。内川から06年後の2013年、聞いた人物は2軍打撃コーチの大村巌であり、声の主は筒香嘉智でした。
筒香は後年不動の4番となり2020年からMLBに移籍するなどの大活躍を見せますが、内川と同じように悩んでいた時期がありました。
筒香の大躍進を語るに欠かせない人物のひとりが、大村巌です。

これは、web Sportivaでの【連載】チームを変えるコーチの言葉』の記事を編集し新書として出版された『「名コーチ」は教えない』の第6章に詳細な記述があります。


そんな大村は2003年に千葉ロッテで選手生活を終え、02年間の野球解説業を経て2006年に北海道日本ハムファイターズの2軍打撃コーチに就任します。
就任早々、大きなできごとが起こります。

ピッチャーの制球難が改善される見込みが薄いため野手にコンバートし、外野手として育てていくこととなり専属のコーチをやるよう任命されたのです。

大村は、糸井嘉男の指導を担当することになったのでした。

糸井嘉男・大村巌

北海道日本ハムGMの高田繁から、糸井を野手として試合に出場させるために01か月で何とかしろという無茶とも映る指示が出ます。
埼玉西武の木村文和や東京ヤクルトの高井雄平も同じ25歳前後での外野手転向でしたが、糸井はとりわけ短期間での戦力化が突き付けられたのでした。

前述の、高橋安幸さん『「名コーチ」は教えない』の第6章に沿って記述していきます。

糸井はプロ野球にてバッターの実績がありません。一方で大村は16年もプロ野球選手を務めた実績がある。
そうなると自分はこうやってきたんだからこうやれと言うこともありそうですが、大村にそんなことはまったくありませんでした。

猛練習を実施はするのですが、糸井の人となりを理解しようと努めて糸井のモチベーションを上げようとする工夫を行っていたのでした。
室内練習場でも、打撃投手を務める大村が、

「9回裏、ツーアウト満塁。さあ、ここで糸井選手です。ピッチャー、西武の誰々」

とわざわざ声に出して言っています。決して自分はこうやってきたからこうやれ、実績ないんだから黙って聞いていろとは言わない。選手ファーストが実践されています。
また、糸井のコミュニケーションスタイルは独特で、宇宙人と評されることもあります。これも、大村は糸井にその性格を直せと言うのではなく、なんと自身が書店に足を運び、ペットの飼い方の本を読んでヒントを得ようと思ったというのです。

コーチと選手の関係は上下ではない。選手以上になってはいけないという思いが伝わってきます。

そのうえで最初は体力が持たなかったものの、日が経つにつれて1,000球ほど打てるようになり、2006年のうちに2軍で外野手デビューします。
2007年03月が1軍公式戦初出場。ちょうど、前年にSHINJOが引退しており、外野のポジションがひとつスムーズに埋まったのでした。

2012年には不動のライトで栗山新監督のパ・リーグ優勝に貢献。レフト中田翔、センター陽岱鋼、ライト糸井という布陣でした。
実は全員ドラフト1位指名ながらも外野手としての入団ではありません。それでも外野手のレギュラーとして大活躍したのを見て、成功の形はいろいろある、という記事に感じ入った記憶があります(今回の執筆にあたり探しましたが見つからず)。

2013年01月のオリックスへのトレード移籍は平成後期最大と言っていいほど衝撃的なものでしたが、オリックスでも外野の一角を務め2014年に首位打者を獲得。
2016年オフにはFA宣言し阪神へ移籍し、そうして2022年09月に引退の運びとなったのでした。

2003年ドラフト指名組でもかなりの長寿であり、ともに自由獲得枠入団の内海哲也(巨人→埼玉西武)・1位指名の白濱裕太(広島)と最後に揃ってプロ野球選手を引退したのです。

これも03年とは言わずともその+αで戦力外通告を受けていた可能性もあったところ、野手転向と大村巌との巡り合わせで19年の選手生活を送ることができました。

内川、糸井、深いストーリーになっているのです。

最後に

特に印象に残り、自分の人生でも活かしていきたいと思った点がふたつあります。
ひとつは、ふたりとも決してドラフト1位指名にあぐらをかいていたことはなく、強い自己推進力を持っていたということです。

ドラフト1位指名されるぐらいなので身体能力は相当高いと言えます。ただ、それでも才能あるからとなりそうなところ、ふたりとも人並み以上の練習でコーチの指導を自分のものにしようとしています。

大村が糸井に「努力した者が勝つ」と最初に伝えています。

糸井のみならず、内川も早出練習など実践していました。

もうひとつは、コーチが発する言葉が絶妙だということです。
行き詰っている現実を伝えはしつつも、打開の方向を示すとともにモチベーションが上がるであろう言葉。
外から聞いていても元気がもらえると言いますか。これから新しいことを始めるにあたり、本当に大丈夫かという不安は少なからずあるものですが、それらを薄めるであろう言葉です。新入社員や異動したばかりの社員にはありがたく映るものです。

「WBC出るぞ」

と杉村が内川に言えば、

「目標は世界中の投手を打つことだ!」

と大村が糸井に言っています(糸井はこの言葉を北海道日本ハム退団通告かと思ったという伝説つきで)。

教える、ということは無関係ではありませんが、選手の持っている能力を引き出すという点に重点が置かれていることでふたりとも良質な指導が一因となり開花したと言えるでしょう。

2023年以降もこのような、本人の努力と粋な指導の掛け算で開花という深いストーリーがプロ野球に生まれることを楽しみに過ごしていきたいと思っています。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。