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辻発彦が繋ぐ未来へ全てを捧げた源田壮亮

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、プロ野球埼玉西武ライオンズの辻発彦前監督について、記します。
お誕生日おめでとうございます。

2017年10月16日(月)、私はふと見たテレビ画面から視線が離れませんでした。
パ・リーグクライマックスシリーズファーストステージ第3戦がメットライフドームにて行われていました。その試合は東北楽天が勝ったので埼玉西武は敗退となったのですが、メットライフドームに数多く揺れるフラッグと誇らしく映る炎獅子ユニホームを見て、私はうらやましく思うとともに微笑ましくなりました。
その炎獅子ユニホームを着て3塁側ベンチにて堂々と戦況を見つめているのが、背番号85、監督の辻発彦でした。

前年の2016年、辻は同じ背番号85を着用して野手総合兼内野守備コーチを務めていました。ただ、そのチームは埼玉西武ライオンズではなく中日ドラゴンズ。
私はむしろ同年に辻をよく見ていました。

2016年の中日はいい年ではありませんでした。19年ぶりの最下位に沈み、谷繁元信監督も08月で休養して森繁和ヘッドコーチが監督代行を務めるなどチームは完全に下向きでした。
埼玉西武も最下位ではないもののBクラスが続いており、チームの立て直しは喫緊の課題でした。

もともとは次の年も辻は中日首脳陣のひとりとしてチームのかじ取りを担う予定でした。そんな中、埼玉西武球団は、21年前に自由契約にした辻に監督オファーを出します。

埼玉西武監督オファーのくだりはこちらの記事がとても参考になりますのでご紹介いたします。

中日ドラゴンズGMの落合博満は辻発彦を高く評価しています。落合自身が監督だったころから辻を中日に呼ぼうとオファーを出し続けてこぎつけたこともありました。私も以前noteに書いたことがあります。

そのため、落合も中日での役職と同等以下なら認めない方針だったとのことですが、1軍監督なら話は別。日本に12しかない野球人の名誉職、古巣に送り出したのでした。

この時に私は肯定的な見方でした。むしろ最初に就職した企業から出ていくも、最晩年に経営幹部待遇でヘッドハンティングされたと考えたら素晴らしいことです。
西武ライオンズのセカンド辻発彦だったわけですし、拍手して祝うのが自然な姿だろうと思いました。

途中在籍した他球団のマスコットとも交流戦で仲良くしていたシーンから、人間性のよさがうかがえます。

東京ヤクルトのつば九郎。

中日のドアラ。

話を戻しますと、そうして埼玉西武は2017年には2位に浮上してCSを主催します。2018年、2019年には山賊打線が猛威を振るいパ・リーグ優勝を果たしたのでした。
中日より打てるバッターもいて、辻さんやりやすいだろうな、と苦笑いしてみていた中日ファンも多かったはずです。

しかし、この強力打線で打ち勝つ野球というのは、辻が本心から願っていたスタイルではなかったのです。
投手力とセンターラインを中心とした守り勝つ野球を理想としていました。

ただ、保有戦力の長所を活かした答えが、山賊打線でした。

自身の美学より、成果を出すにあたり現実的に確率が高い方法を選ぶ。これはマネジャーの能力が高いエピソードだと言えます。
そうは言っても、辻が理想とする守備力で大きな存在感を示し、まさにともにライオンズで歩を揃え成長した選手がいます。

2016年ドラフト3位で指名され、すぐにショートのレギュラーに定着した同じ九州男児の源田壮亮です(辻は佐賀県、源田は大分県)。

特に日経新聞の記事(2018年)には、“源田に自身の現役時代を重ね合わせてきたのではないだろうか”という記載もあります。
この見立ては決して間違いではなく、2022年の監督退任時に大きな存在感があった選手として源田の名前を出しています。

源田にとっても埼玉西武から指名を受けたことは、(結果的にですが)いい指導者に恵まれて大正解でした。
辻のもとでプロ野球選手として一気にいいスタートが切れました。今後にも期待できます。

最後に

2022年でこそ億プレイヤーになり風格も出てきた源田ですが、ルーキーイヤー2017年の春季キャンプにて攻守ともに激しい鍛錬を積んでいました。
キャンプ後の開幕前、源田はレミオロメン『もっと遠くへ』を自身の登場曲に選定します。

この『もっと遠くへ』で流れる歌詞の一部に、

「どの十字路が繋ぐ未来へも目の前の一瞬に全てを捧げて」

というものがあります。

源田自身はトヨタ自動車でのモチベーションビデオに使用されていたことが大きなきっかけであり、それ以上の理由はないはずです。
ただ、偶然にも“十字路”という言葉は、“辻”という言葉で表現することもできます。

監督の辻が選手の源田に対しての感謝を述べていましたが、源田も辻に対しては深い恩があるものと推察します。
目の前の一瞬が重なって繋がった未来にて、プロ野球界に何かの形で果実をもたらしてくれることを願います。そうなれば、埼玉西武ライオンズで駈けた06年間の日々に大きな意義があったものだと、私もうれしく思います。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。