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この世界の片隅に

「普通の人の非日常がとても美しく描かれている」

というフレコミで、大切な友人からおすすめいただき観てきた一作。もともと戦争やホラーといったバイオレンス要素のある映像が苦手なので、広島の原爆投下にふれた本作をみるのは、ちょっとドキドキだった。

ただ、予告編をみると、とにかく絵のタッチ、のんの声、ことりんごの唄が素晴らしい。戦争という重いテーマとは裏腹に、ふわふわとして素朴で温かな世界観がそこにはあったので、(内容には期待せずに)すすめられるがままに観に行くことにした。

▶︎あらすじ(wikipediaより引用)
1944年(昭和19年)2月、絵を描くことが得意な少女浦野すずは、広島市江波から呉の北條周作のもとに嫁ぐ。戦時下、物資が不足し、配給も乏しくなる中、すずは小姑の黒村径子の小言に耐えつつ、ささやかな暮らしを不器用ながらも懸命に守っていく。

しかし、軍港の街である呉は1945年(昭和20年)3月19日を境に、頻繁に空襲を受けるようになる。同年6月22日の空襲で、通常爆弾に混ぜて投下されていた時限爆弾(地雷弾[2])の爆発により、すずは姪の黒村晴美の命と、自らの右手を失う。意識が戻ったすずは径子に責められる。同年7月1日の空襲では呉市街地が焼け野原となり、郊外にある北條家にも焼夷弾が落下した。見舞いにきた妹のすみは、江波のお祭りの日に実家に帰ってくるように誘う。その当日である8月6日の朝、径子はすずと和解し、すずは北條家に残ることを決意する。

その直後に広島市への原子爆弾投下により、爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、広島方面からあがる巨大な雲を目撃する。8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは家を飛び出し泣き崩れる。翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、草津にある祖母の家に身を寄せていたすみと再会。両親は既に亡くなっており、すみには原爆症の症状が出ていた。

廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻った。

冒頭の人の言葉のように、願わくばわたしも、映画全体の感想をかっこよくまとめたい!でも、どうも言葉がでてこない...映像が断片的にしか思い出せないからだろうか。
それだけ主人公の内側に没入していたのかもしれない。映画を思い出そうとすると、主人公に起きたアレコレが、自分の内的体験として湧き上がる感覚になる。

主人公は、すずという女の子である。マイペースで優しく、絵をかくのが大好き。器用な兄に厳しくつめられながらも、反抗せずに素直に従う。おばあちゃんの家で座敷童子を見ても、すっと受け入れてスイカを分けてあげようとする。義姉さんにツラくあたられても、受け流しながら勤めを果たそうとする(結果、十円ハゲを作ってしまってたけど!)。彼女は基本的に人に文句を言わないし、はっきりと意見を主張することがない。端からみたら、穏やかだけど、ちょっと何考えてるのかわからない、そんな女の子。

今振り返ると、すずは絵をかくことで、普段言葉でだしきれていない何かを昇華していたのかもしれない。そんな彼女から、絵を奪ったとき、アイデンティティ・クライシスみたいなものが起きる。

途中、あるきっかけで、すずは一生右手で絵をかけなくなってしまう。昔のようには働けなくなってしまう。そこで初めて、すずは一人では昇華できないような絶望や喪失を体験する。その抑圧された感情が爆発したとき、すずははじめて、怒りを表し、言葉で要求する。「広島に帰る!」と、強く、自分の言葉で、主張する。このときから、新たなすずが立ち現れる。

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戦争映画は、バイオレンスな描写や悲しい歴史を突きつけて、「やっぱり戦争よくないよね」「戦争おきないようにしないとね」といったおきまりの感想に、私たちを導く(ように感じる)。悲しいし、辛いし、おかしいし、そんなことわかっているのに、なんでまた2時間もかけてその世界に浸らなければならないのか。こんなに辛い思いをして観た結果、(わたしの感受性だと)えられる気付きはありきたりなもの。だから、あまり好きでない。

だけど、この映画は、「やっぱり戦争よくないよね」「戦争おきないようにしないとね」の前に、一人の普通な女性の、なにげない心情変化・精神的成長が丁寧に描かれていて、ちょっと救われた気がした。

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生きることの醍醐味の一つに、より本質に近い、鎧をぬいで安心しきった自分を表現することがある、と私は信じてる。

それは、会議で皆と同じアイスコーヒーではなく、ホットミルクティーを頼むことかもしれない。
あるいは、好きな人に、好きな形で好きな気持ちを表現することかもしれない。
または、まだ誰も確信できていないような体験や仮説を、世間に発表することかもしれない。
そして、ありのままの不完全な自分の完全さを、思考だけでなく全身で感じとることかもしれない。

元々のすずのように、ひたすら周りを受容することも素晴らしい。けれど、絵を失ってからのすずのように、素直に感情や考えを表現することは(すずは悲しみを怒りに転換して爆発させてたけど笑)、さらに人生の味わいをクリアにしてくれる。そこではじめて、本来の自分とそれに見合った現実に出逢える気がしている。

この映画を紹介してくださった方が、「私の心象風景では、この作品、あなたのイメージなの」「戦争にまきこまれても、今のあなたのままでいてね」と言ってくれたのが、その人との関係性において、ほっこりと嬉しかった。(手前味噌だけど)この作品に流れる平凡さや素朴なところが、自分のダサくて垢抜けないところ(昔はコンプレックスだったようなところ)と妙に重なっていて、そしてそんなところを認めてもらえた気がしたからかな。

かなり個人的な体験にねざした、主観的な感想だけど、そんな映画でございました〜

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