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コーチングで「光る君へ」を語ったら、自分にコンパッションを送れた話

私は1ヶ月に1回、コーチングを定期的に受けている。
何を話すのか様々だけど、未来の話が多い。私の創りたい将来に向けて何をしていくのか話すことで、今の気持ちと次の行動をはっきりさせていく。

その日はどうしても、未来のことを話す気持ちになれなかった。
6月〜8月まで、本当に多忙で疲れが溜まってしまって、元気がなかった。

「なんか元気が出ませんね…」という私に、コーチが「何をしたら元気が出るかな?」と聞いてくれた。

私は好きなものについて話すと、前のめりになって、やたら声が大きくなり、目がランランとして、イキイキ感を放つ、というオタク気質がある。

「そうですね、好きなことについて話すと元気になるかもしれません」。
すかさずコーチは、「最近は何が好き?」と聞いてくれる。

そういや昨日、夫に「光る君へ」のストーリーを説明していて、やたら声が大きくなる自分を体験した私は、「大河ドラマの『光る君へ』とかですかね」と返答すると、「へ〜『光る君へ』の何がいいの?」と、またコーチが聞いてくれた。瞬時に反応してくれるのが気持ちいい。

私は「そうですね〜、まず紫式部が、なぜ源氏物語を書こうと思ったのか、その経緯をドラマで見せてくれるのが良いです!」と語り始めた。まさか、ここから、自分への愛で心が震え、涙が止まらない展開になるとも知らずに…

源氏物語との出会い

母が国文学科出身だったこともあり、私の実家には、与謝野晶子版の源氏物語と、平安時代の女流文学の全集があった。平安文学は日記文学が多い。源氏物語の作者、紫式部の日記も残っており、宮中の行事が克明に書かれていたり、同僚の人柄についての記述、仕事の人付き合いの難しさなど、源氏物語にはない「血の通った紫式部」を感じることができる。

中学生の頃、何気なく本を手に取った私は、めくるめく王朝文学にのめり込むことになった。

美しい季節の描写や、季節と個性に合わせた着物を選ぶセンス、和歌のやり取り、宮中の儀式から、研ぎ澄まされた美意識を感じた。

占いで行動が左右されたり、社会的な身分に縛られた現代との違いは、珍しく感じられ好奇心いっぱいになった。

現代との違いも面白いが、気持ちや感情に焦点を当てると、今の私たちと全然変わらない。人間関係に苦労をしたり、恋に身を焦がしたり、不実な夫を恨んだりする。読むと千年前の人間の思考、感情がありありと感じられ、息づかいまで聞こえてくるような気がしてくる。「あなたたちが生きているのは、現代ではないの…?」と思うくらい、その心情が迫ってくるのだ。

特に「源氏物語」と「日記」に耽溺した私は、登場人物になって、平安時代の生活を楽しんだ。想像の世界は制限がないから、どんなお姫様にだってなれる。着物を選び、香をくゆらせ、公卿と文をやり取りできる。私は中空を見つめて、口をぼか〜んと開けて妄想する少女になった。

源氏物語は光源氏という完璧な貴公子が主人公なので、おとぎ話のような雰囲気がありつつ、後半は、そんな貴公子とヒロインは、ハッピーエンドにならず、人生の無情を味わう、深い物語だ。

隙があれば妄想する少女だった私は、疑問がいっぱいあった。紫式部に色々質問して聞きたかった。
「どうしてハッピーエンドにしないの?推しキャラ(ヒロインの紫の上)がこれで終わるって読後感がグハァなんだけど…」とか

物語に出てくる歴代天皇(光源氏の父や兄)は、后を光源氏に盗まれる。
執筆当時、紫式部は中宮彰子に仕えつつ、この物語を書いていたので
「すぐそばにリアル天皇がいる横で、よくこんな不敬な内容が許されるな〜と思うんだけど、大丈夫だったの?」とか

他にも「そもそもの、源氏物語を書いた動機」や、「本当に54帖で全部?失われている巻はあるの?」とか。(源氏物語には、いくつか抜けている巻があるという説がある)

大河ドラマ『光る君へ』の素晴らしさ

①物語の謎にアンサーがもらえる
私が中学・高校の頃から持っていたこれらの質問。妄想の中で、何千回と紫式部にしたであろう質問の回答が、『光る君へ』というドラマの中で明かされていく。私が求めてやまなかったアンサーがドラマから与えられるのだ。

大石静氏の脚本は素晴らしく、与えてくれるアンサーには、納得感がある。
大石氏が描く紫式部は、自らの人生に起きた出来事を巧みにストーリーに反映させていく。芸術家の魂を持つ者には、全ての体験がネタである。物語がもう一段深みを増すために、自らの秘密を物語に使う罪深さと、芸術のための覚悟も持っている。

源氏物語の複雑で、人生の不条理を映し出すストーリーは、突如この世に現れたわけではなく、本当に作者が体験していた、という訳だ。
このアンサーには脱帽だ。納得感しかない。

②推しキャラの絡みがあり、影響を与えあう姿が見られる
さらに『光る君へ』には、紫式部と以外にも、女流文学の作者が登場する。和泉式部日記の和泉式部や、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母、『枕草子』の清少納言だ。

私が特に好きなのは、和泉式部と藤原道綱の母、である。2人とも、著名な歌人で素晴らしい日記文学を残している。
日記であるため、内容はかなりプライベートに踏み込んだ内容だ。

和泉式部は、身分の高い皇子との恋愛日記、藤原道綱の母は、最高権力者であった夫との愛憎の日々をリアルに描いている。

この2人も私の大好きな作家で、
「なぜその日記を書こうと思ったのか」
「スキャンダラスな内容にも関わらず、なぜ世に出せたのか」
妄想の中でずっと質問していた2人だった。
それにも大石脚本でアンサーがもらえるのだ。感動だ。
しかも、ドラマ内で作家たちは交流し、お互いの影響力に触発されていく。
推しキャラ同士が絡み合い、話している。

涙のわけ

これらの事をコーチに語っていると、わたしはいつのまにか泣いていた事に気づいた。「感動しかないですよ」という言葉を口にしている私がいた。
コーチが『いま、何が起きているの?』と聞いてくれる。

中学、高校時代、空想の中で幾度も放った質問、決して誰も答えをくれなかった質問に回答がきて感動していること

大好きな、紫式部、和泉式部、藤原道綱の母が、ドラマの中でイキイキと活躍していること

ドラマが終わったら、すぐにXでいろんな人が感想を投稿していて、うれしいこと。思えば長い間、王朝文学について熱く語る友達いなくて、寂しかったんだなぁと気づいたこと。

とても、過去の自分も今の自分の寂しさも慰められていること

涙は、ますます止まらなくなった。

何かを好きになるということは、心によりどころができて、行動の動機づけになったり、誰かと仲良くなるキッカケにもなる。
一方で、環境によっては、それを好きなのは自分1人で、誰とも喜びを分かち合えず、孤独感が増したりする。

いつの間にか、私、後者だったんだなあと気づいた。
30数年にも及ぶ孤独と、慰められつつある自分に気づいた時間になった。

『光る君へ』からコンパッションを受け取っていること、またコーチングの場で思う存分、『光る君へ』を語らせてもらうことも、自分へコンパッションを送ることになっていることを自覚できた。要は、「私、すごく元気になった」のである。

最後に、もう1つの感動

あともう一つ感動しているのは、NHKに対してだ。今、朝ドラでは『虎に翼』という、日本で最初に法曹界に飛び込んだ女性の人生を取り上げている。その歴史は法律を学ぶために大学進学するところから苦難の連想だ。

今年の朝ドラと大河に共通しているのは、主人公が女性のため、自らの才能を発揮しづらく、苦労している点だ。

紫式部は、小さな頃から利発であったので、父から『お前が男であったなら』と残念がられた。本人も政治に志があるのに、女性であるが故に歯がゆい想いをしていることがドラマで描かれている。

平安から昭和へ、千年経っても、女性が活躍しづらい社会であったことを、もう一方の性である男性や、社会への批判を声高にするのではなく、プログラムの構成で見る人に意味づけを委ねている点が、素晴らしいなと感じている。
私はコンパッションを『優しいインパクトで社会を変えていけるもの』と考えているけど、そんなような質感を感じていて、そこにもなんだか感動してしまうのだ。

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