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気づきの支援日誌7/7

内面に関わるコーチングのことをBeing Coaching と呼ばれている。それに対して、目標達成やアクションの選択などについて扱うコーチングをPerformance Coaching という。

クライエントの人生に関わる上で、この2つの側面を扱えることが大切とされている。

自分の中では、これはあくまで分類をしようとした時に使える用語であって、「ここからはBeing Coachingに切り替えよう」などアプローチを意識的に変えるために使われる用語ではないように思える。

ご利用くださる方とのセッションの中で「Being Coaching」の色合いが濃くなったり、「Performance Coaching」の色合いが濃くなったりするもののように感じる。

その場に生起する現象を共にするという意味で「セッション」なんだなと思える。
前に調べて納得したけど、ジャズのプレイヤーたちが、クラブの閉店後に仕事から離れて、メンバーとそれほど打合せもせずに即興で演奏し、その時その時の互いのノリを探りながら、自己表現したり、そこに応えたり、ひらめきを得たりして、それぞれが独立しながらも一体感が生じるような、そうした即興性の中でグルーブしていくというのが『ジャム・セッション』であると。

コーチングセッションも、まさにそういう即興性のプロセスの中で、その時にしか表れない流れの中で、グルーブしていくものなのではないかと思える。
それは「コントロールを超えた先にある調和」と言えるかもしれない。

この即興性というのを、対人支援の文脈では「事実の一回性」という概念で捉えているのだろう。
科学が重きを置く再現性とは、根本的に異なるわけだ。
そもそも、再現性は「本当にそう言えるのか?」という仮説的説明に対して反証に耐えられるかチャレンジするための試みなのだから、セッションで起きた事象についての仮説的説明を反証することには使えるかもだけど、「実践の再現性」という文脈には違和感がある。

だから、対人支援の世界では、アプローチの実践のことを『アート(技芸)』と呼ぶのだろう。
セッションでは、良くも悪くも互いに用意したものを用意した通りにはできないわけだ。

やっぱり「治療者と患者」ではなく、「人と人」という対等な関係性から共同作業をしていくことを重視するコーチング本来の意義は、とても奥深い…


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