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気づきの支援日誌7/13

「目的」「習慣」「危険性」「意思決定」といった目に見えない概念を頻繁に活用する人間にとって、個々が意味を生成する営みは本当に尊い。また、その生成が起きる対話も美しい。それは、コーチングセッションの参加者としても感じるし、こういう会話があったというお話を伺って、傍目にみても美しいと感じられる。

そして、意味の生成のエネルギー源である感情のうつろいも、また尊いものに思える。


ここまでを概観していると、「感情と歴史」という聯関というか、つながりを持ったテーマが見えてくる。

経験していることに対して感情が生じ、過去において経験してきたことから作られた意味を現在の感情に適用し、新たな意味が生成される。こうして、新たな意味は経験に統合される。

このプロセスを通して、「経験してきたこと」は絶えず変化していく。

つまり、「経験してきたこと」を材料に新たな意味を形成して、新しい認識を増やしていくことができるけど、形成された新たな意味が経験を構成する成分として追加されるから「経験してきたこと」も新しく変わっているといえる。

それだけではなく、新たな意味が生成された先で、意思決定がなされ、行動選択やその選択による結果がもたらされる。

これは、「歴史を構築していくプロセス」ということができる。

マクロでみれば、その社会を構成する人々に共有される「情勢」「歴史」。そして、そこからの産物としての制度や構造物、文化など。

ミクロでみれば、個人を構成する「状況」または「現実認識」や「個人史」または単純に記憶と呼べるもの。そして、そこからの産物としての選択や対人関係、思い出など。

マクロ・ミクロというからには、なんらかの素地は共有しているといえそう。「地球」という共有物で、これらの営みが起きているのだろう。地球は宇宙に依存しているから「宇宙が社会と個人の共有する素地」か。

世界を概念として捉えていたら、ロバート・ブランダムがヘーゲルにみた『世界そのものは概念的な構造をしている』という概念的実在論(Conceptual realism)がつながってきた。

......話がズレた。戻そう。


記憶は、現状に適応するための適応パターンという説がある。

新たな意味が生成されることで、現実に対する捉え方が変化しスムーズに活動しやすくなるだけではなく、史実の捉え方も変わるということがいえそうだ。

これは、個人の適応パターンの変化にもいえる。

適応パターンは、学術的には性格と同一のものとされるから、個人の歴史を振り返っていくことで、新たな意味の生成をし、それを現実認識に還元する営みは、その個人が変化する営みということ。

このプロセスを記述したポスト構造主義。そして、ポスト構造主義にもとづくアプローチである、精神療法ではない社会的アプローチの立場から新しい支援のあり方として誕生したナラティブアプローチは、本当に意義深い。

コーチングセッションという営みにおいて、社会や個人の系譜とそのプロセスに触れさせてもらえることに、深い畏敬の念を抱く。


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