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買うことで得られる価値をどう捉えるか、について考える

娘たちの大好きなTWICEがアルバムを出すそうで、最近遊びにいけずにいる娘(中3・受験生・ストレスフル)がお小遣いで買おうかどうか迷っていると言う。

 やっぱりかわいいし欲しい、でもあとで買わなくてもよかったって思うかもしれない、、とか、
 推しのトレカが入っていなかったら交換できる人が周りにいない、、とかいろいろ言ってて、

それもそうなんだろうなぁとは思いながら、
それを買う価値、について考えてた。

そもそも、動画はYouTubeで見れるし、音楽はスマホのアプリで聞ける。

娘の部屋には、これまで買ってきたCDもDVDも大事に並んでいるけれど、それを見るのはほんのたまにで、普段は動画をYouTubeでみたり、スマホで音楽を聴いたりしてる。

でもそれを買う価値としては、

・買ったとき、それが届くまで待つワクワクと、
・届いて箱をあけてパッケージをみてかわいい~!!と喜ぶこと、
・で、トレカが何が入ってる?と開くときのドキドキ、
・しばし眺める幸せ、

そういった感情なんだろうなぁとも思う。

だから、その感情をじゅうぶんにあじわった後に、

 手に取る頻度がとっても低くなったとしても、

 推しではないトレカがでたときの扱いをどうしようかなぁと思ったとしても
(みんな可愛いし好きだからいいんだとは思うけど)

もう、それを買った価値はしっかり得られているわけだし、いいんじゃない?という見方もできる。

という見解を娘に話してみたけれど、
まだ迷ってる様子^^

特に最近ものすごくストレスフルな様子なので、
自分を機嫌よくするために買ったらいいのになぁと思ってる。
(とはいえどっちでもいいのだけど^^)

そんなことを考えながら、
モノやサービスを買う価値、について改めて考えてた。


モノはモノとしての価値
サービスはそこから得られる成果

という側面にフォーカスしがちだけど、

さきほどの話のように
それぞれ、そこから得られる「感情」にも価値がある、とみる場合、

なにに対価を支払うのか、支払ったのか、について自分がどう捉えるか、によって、満足度も、そこから得られるものも違うよね、と。


特に無形のサービス(セッションとかコーチングとかも)の場合、
どのタイミングでその価値を感じるか、は人それぞれなのだと思うけれど、

自分がこれまでコーチングやサービスを受けてきたときを考えると、


申し込んだ時点でもう「申し込んだからにはやるぞ!」と決めることができていたときはその時点で価値は発生していた気がするし、
コーチに話を聴いてもらった時点で価値を得ていたよね、とも思う。

前は成果としての価値を期待してしまっていたときもあったけど、そんなときほど相手(提供側)にそれを期待してしまっていたり求めてしまっていたこともあって、自分は動けず、結果的に成果という形は得られなかったように思う(それが意味がなかったというわけではないし、自分がそういう状態だったということなのだと思っているけれど)

と、考えながら、講座やセッション、サービスを提供する側として、どこに価値を感じてもらえるかを考えたり、その価値を感じてもらえる「在り方」を改めて考える機会になった。

お客さまになってくださる方が、
・進みたいと思っているときに、
・得たい状態があるときに

そのパートナーとして考えてもらえるひとであるために
話を聴いてもらいたい、と思ってもらえる存在であるために、
そこに価値を感じてもらえるコーチとなるために

日々視点を増やす努力をしたいと思うし
わたし自身が目標に向かって進む体現者でありたいよね、と。


という、

娘が推しのCDを買うかどうかの話から
なんだかまとまらない話になってきましたが笑

つまり、


娘はCDを買ったらいいと思うし、
わたしはわたしでがんばろうと思います!!笑

***

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