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わたしの中の窮屈な感情を 子どもたちに引き継がないために

子育てって、それぞれの子の個性があるから
兄弟姉妹であっても同じようにはいかないけれど、
それでもやっぱり、ひとりめの子の子育ては特に難しい。

はじめてのことばかりだし、
ひとつひとつのことが手探りで、
迷うことだらけで大変ですよね。

親も、そして子どもも。

我が家の娘たちは高校生と中学生
と、大きくなってはきたけれど、
今でも迷うことはたくさんあるし、

娘たちが自分でできること、自分で決められることが増え、行動範囲も、交際範囲(人間関係)もますます広がってきた今、

子どもが小さかった頃とはまた違う難しさ、
というか、
親としてどうあるか、ということについてじっくり考える機会(考えなければいけない場面)が増えたように思います。
(考える時間の余裕は前よりずっとある、ということもあるのだけれど)

たとえば、お小遣いとか、時間について
 なにをどこまでOKにして、
 なにを「これはだめでしょ」にするか、
ということ、とかね。

きのうも高校生になった上の娘が、
言いにくそうに相談してきたことがあったのだけれど(友だちとお出かけするにあたってのお金と時間の相談)、

母なわたしはそんなときは
基本、お互い納得して決めたルールがあるからね、という姿勢のもと

「なんでもだめというつもりもないけれど
なんでもOKというつもりもないぜ」

というスタンス(?)で、
でもできるだけフラットに聞こうとしているのだけれど、


きのうハッととしたのは、

わたしこういうとき、心の内側で、

「わたしが子どものときはそんなことは許されなかった」

って、ついつい思ってしまうところがあるんだ、ということ。


 娘 と わたし は違うし、

 わたし と 母 は違う。

 もちろん、環境も、時代も違う。


それはわかっているし、

寧ろ、自分が子どもだったときに

 おかしいと思っていたこと、
 認められなくてつらかったこと、
 そう思いながら、我慢してきたこと、

は今でも憶えていて、そんな思いは娘にはさせたくない、と思ってきたはず。

だから、
「わたしがこうだったから」の判断をするつもりはないはずなのに、
いや絶対!さらさらない!って思ってきたはずなのに、

それなのに、
「わたしはこうだったのにな」と思ってしまう自分がいるということに気づいた。そして、なんだかんだ、いつもそう思ってたんだな、ということにも。

実際、過去の自分がそうだった、というのは事実だから、思っちゃいけないわけではないのだろうけれど、

こりゃだめだ、と思ったのは、

「わたしはこうだったのにな」のあとに
「ずるい!」ってついちゃうくらいに、
ねちねちした感じのそれが、自分のなかにあるってことに気づいたから。

え、わたし、娘にずるい!って思ってるってこと??

これはなんとかするべきやつだ、と思ったのです。



だって、わたし、
この窮屈な感情を、娘に引き継ぎたくない。

もう伝わっているかもしれないし、
既に窮屈にしてしまっているかもしれないけれど
それでもここから断ち切りたい。

これはもう絶対!!そう思うのです。


で、さて、ここからどうするか、
ときのうからモヤモヤしながら考えていました。


まず、今、気づいた、ということが大きな一歩だな、と思う。

それから思ったのは、
「わたしはこうだったのに」は、
あのころの(子どもだったころの)自分の声なんだろうな、ということ。

ずるい!と言っているのはあの頃のわたし。

当時、

 感じてもしかたがないこと
 求めてもどうにもならないこと
 どうせわかってもらえないこと、

として、自分の中に閉じ込めた感情が、
今なお自分のなかに置き去りになっていて、
内側のわたしにそう言わせてるのかもしれないな、と。


ということであれば やっぱり、

あのころの自分の感情に寄り添い、
そっかそっか、と聞いて受けとめることから取り組もう、と思う。

そうやって、聞いて、知って、
今の自分として、叶えて、満たしていく、

それが、いまできることで、
必要なことだと思うから。


自分のためにも、そして娘たちのためにも。

こんな感じで、
子育ては反省することがいっぱい。

やっぱり、長女は大変だな。。

ごめんね、いたらぬ母で。
でもあなたたち娘のことを、
心から大切に思っています。

あなたたちのおかげで、
前に進めている気がしています。


母でいさせてくれて、ありがとう、をあらためて。

***

ー自分を知って自分を生きる
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