わたしの中の窮屈な感情を 子どもたちに引き継がないために
子育てって、それぞれの子の個性があるから
兄弟姉妹であっても同じようにはいかないけれど、
それでもやっぱり、ひとりめの子の子育ては特に難しい。
はじめてのことばかりだし、
ひとつひとつのことが手探りで、
迷うことだらけで大変ですよね。
親も、そして子どもも。
*
我が家の娘たちは高校生と中学生
と、大きくなってはきたけれど、
今でも迷うことはたくさんあるし、
娘たちが自分でできること、自分で決められることが増え、行動範囲も、交際範囲(人間関係)もますます広がってきた今、
子どもが小さかった頃とはまた違う難しさ、
というか、
親としてどうあるか、ということについてじっくり考える機会(考えなければいけない場面)が増えたように思います。
(考える時間の余裕は前よりずっとある、ということもあるのだけれど)
たとえば、お小遣いとか、時間について
なにをどこまでOKにして、
なにを「これはだめでしょ」にするか、
ということ、とかね。
きのうも高校生になった上の娘が、
言いにくそうに相談してきたことがあったのだけれど(友だちとお出かけするにあたってのお金と時間の相談)、
母なわたしはそんなときは
基本、お互い納得して決めたルールがあるからね、という姿勢のもと
「なんでもだめというつもりもないけれど
なんでもOKというつもりもないぜ」
というスタンス(?)で、
でもできるだけフラットに聞こうとしているのだけれど、
きのうハッととしたのは、
わたしこういうとき、心の内側で、
「わたしが子どものときはそんなことは許されなかった」
って、ついつい思ってしまうところがあるんだ、ということ。
娘 と わたし は違うし、
わたし と 母 は違う。
もちろん、環境も、時代も違う。
それはわかっているし、
寧ろ、自分が子どもだったときに
おかしいと思っていたこと、
認められなくてつらかったこと、
そう思いながら、我慢してきたこと、
は今でも憶えていて、そんな思いは娘にはさせたくない、と思ってきたはず。
だから、
「わたしがこうだったから」の判断をするつもりはないはずなのに、
いや絶対!さらさらない!って思ってきたはずなのに、
それなのに、
「わたしはこうだったのにな」と思ってしまう自分がいるということに気づいた。そして、なんだかんだ、いつもそう思ってたんだな、ということにも。
実際、過去の自分がそうだった、というのは事実だから、思っちゃいけないわけではないのだろうけれど、
こりゃだめだ、と思ったのは、
「わたしはこうだったのにな」のあとに
「ずるい!」ってついちゃうくらいに、
ねちねちした感じのそれが、自分のなかにあるってことに気づいたから。
え、わたし、娘にずるい!って思ってるってこと??
これはなんとかするべきやつだ、と思ったのです。
だって、わたし、
この窮屈な感情を、娘に引き継ぎたくない。
もう伝わっているかもしれないし、
既に窮屈にしてしまっているかもしれないけれど
それでもここから断ち切りたい。
これはもう絶対!!そう思うのです。
*
で、さて、ここからどうするか、
ときのうからモヤモヤしながら考えていました。
まず、今、気づいた、ということが大きな一歩だな、と思う。
それから思ったのは、
「わたしはこうだったのに」は、
あのころの(子どもだったころの)自分の声なんだろうな、ということ。
ずるい!と言っているのはあの頃のわたし。
当時、
感じてもしかたがないこと
求めてもどうにもならないこと
どうせわかってもらえないこと、
として、自分の中に閉じ込めた感情が、
今なお自分のなかに置き去りになっていて、
内側のわたしにそう言わせてるのかもしれないな、と。
ということであれば やっぱり、
あのころの自分の感情に寄り添い、
そっかそっか、と聞いて受けとめることから取り組もう、と思う。
そうやって、聞いて、知って、
今の自分として、叶えて、満たしていく、
それが、いまできることで、
必要なことだと思うから。
自分のためにも、そして娘たちのためにも。
*
こんな感じで、
子育ては反省することがいっぱい。
やっぱり、長女は大変だな。。
ごめんね、いたらぬ母で。
でもあなたたち娘のことを、
心から大切に思っています。
あなたたちのおかげで、
前に進めている気がしています。
母でいさせてくれて、ありがとう、をあらためて。
***
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