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【コーチングにまつわる話】話すことと、話を聞いてもらうこと


コーチングにまつわる話をしていこうと思います。そろそろ。

もともと note を投稿し始めたきっかけが、コーチングを学び始めたことにありますが、今まで私自身のことを婉曲的に書いてきただけで、コーチングについて直接的に書いてきたことはありませんでした。

でも、そろそろ、コーチングにまつわる話をしていこうと思います。それは、「コーチングのこと書かなきゃ」から「コーチングのこと書きたい」に気持ちが変化したからです。ちょうど、note を始めたときと同じように。




最近の気づき


最近、意識してコーチングのセッションの練習を重ねています。ずっしりと重い、重い、重すぎる腰を上げて、有償クライアント募集を始めるためです。

セッションの練習は、私がコーチ役をするだけのときもあれば、練習のお相手と相互にコーチ役とクライアント役を交換することもあります。

クライアント役をすることも、自分のセッションの勉強になります。そして、必然的に「話を聞いてもらう」という時間が積み重なっていきます。

この「話を聞いてもらうこと」って、いいなと最近強く感じています。

話の内容は何でもいいのです。話が解決したとか、発展したとか、そういう流れも何でもいいのです。「聞いてもらうこと」が、いいのです。

過去を振り返ると


私は子どものころから自己主張がはっきりしているタイプである、と自認していました。授業中もよく手を挙げる子でした。

意見を求められれば、または求められなくても、または意見がなくても、発言をする子でした。(こう書くと、そのようになった由来に何かが潜んでいそうですが、それはまた別の話です。)

自ら「話すこと」は、得意であると思ってきました。客観的な情報としても、ストレングスファインダーの「言葉によって伝え、人を動かす力」とされる「コミュニケーション」が上位に入っています。

特に仕事において、「話すこと」は大事であると考えてきました。社内での情報共有や情報発信は、かなり積極的に進めてきました。

私はよく、自分の意見を言えずにストレスを抱えている人や、情報共有を十分にせず仕事に行き詰っている人を見ると、「話せばいいのにね」と思っていました。

私自身は「話すこと」により、ストレスもないし、仕事もどんどん進めていると思っていました。

そんな風に思っていた私も、昨年に仕事を退職しています。ストレスを抱え、仕事に行き詰まりを感じたからです。

話を聴くことを学ぶ


まだ在職中だった2022年の4月から、私はコーチングを学び始めました。そして退職後の2023年の夏にキャリアカウンセリングを学びました。両方に共通していたのは、「話を聴くことを学ぶ」ことでした。

学び始めたきっかけと、学んでから気づいた心情を、つらつらと書き綴ったメモがあります。

話を聞くことが苦手だった
私はどんどん話した
彼らはなぜ話さないのだろうと思っていた
私の話を聞こうという姿勢がなかったからだ
私もどんどん話しても聞いて貰えている感じがしなかった
私は話を聞いて貰いたかったんだ


このメモを今あらためて眺めてみると、在職中に抱えることになったストレスや仕事の行き詰まりの要因が分かったような気がしました。

話を聞いてもらうこと


先にも書きましたが「話を聞いてもらうこと」って、いいなと思います。

「話す」と「聞く」だけでは成り立たない「何か」がそこにはあります。「聞く」と「聴く」の違いでもない「何か」がそこにはあります。「話を理解してもらう」とか「話を解決してあげる」とかそういうことでもありません。

しいて表現してみると、「向き合ってもらうこと」が「話をきいてもらうこと」に近いかもしれません。どうだろうか。

話し手と聞き手の関係はもちろん、聞き手のいわゆる「在り方」や「器」が作用するのかもしれません。

今思うこと


ここまで思い至ったところで、ここ最近において、私のコーチングの練習相手になってくださった方に改めて感謝の気持ちが湧き上がりました。

私も「話をきいてもらいたい」と思われる「在り方」や「器」を備えたい。

「話を聞いてもらうことって、いいな」という実感から、コーチングが真に力を発揮するのは、問題解決や目標達成ではないのだなと理解しました。

「いいな」ってどういうことだろうか、という問いはそのままにしておこうと思います。無理に解釈をつけずに。

ただ、「いいな」なのです。



冒頭の写真はカナダ プリンスエドワード島のサマーサイドで撮ったものです。この男の子はもうとっくに成人しているに違いない。今どこにいるのだろう。島にいるといいな。

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