2024年5月 読み終わった本・読んでいる本
1月~4月に読み終わった本はこちら
もう6月も終わりですね。ということは、2024年が半分終わるということですね。この読書記録は、前月に読み終わった本を振り返る形式なのですが、投稿のペースがどうしても遅れがち。今回もずいぶん遅くなりましたが、5月の記録を振り返りたいと思います。
5月に読み終わった本
見事に小説ばかりでした。本屋さんに並び始めたころから気になっていた海外ミステリー、大昔から好きな作家さんの作品の再読、私が現代文学を好きになるきっかけを作った作家さんの新作と、私に趣味が丸見えなラインナップです。
『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ
この本が単行本で本屋さんに並び始めたときからずっと、気になっていました。大抵の大型書店で平積みになっていたので、目に入りやすかったのです。
「ザリガニの鳴くところ」という情緒的な書名と、綺麗なピンクがかった表紙から、純文学の気配を漂わせているのに、出版社はミステリーに強い早川書房であることが気になっていました。
気になってはいたものの、なかなか手に取るまでに時間がかかりました。いかにも読み応えのありそうな厚み(文庫版で624ページ)だったので、ゆっくり、かつ集中して読める態勢が整ってから読もうと思っていました。それは私の場合、旅行に行くときです。できれば、海外旅行がいい。長いフライト時間もさることながら、空港での待ち時間、カフェでの休憩時間、夜寝る前の時間など、読書に最適な時間がいっぱいあるからです。
というわけで、この本は先月初めに行ったデンマーク旅行で読みました。本の舞台はアメリカのノースカロライナ州の湿地帯ですが、私がこの本を開いてイメージしてしまうのはコペンハーゲンの街に寄り添う運河です。
さて、純文学なのかミステリーなのか、訝りながら読み始めたこの本は、しっかりとその両面の要素を持っていました。冒頭に殺人事件の被害者である可能性が高い遺体が登場して、最後にはその真相が明らかになるので、展開としてはミステリーです。でも、物語の舞台であり主役ともいえる「湿地」の描写が、登場人物たち「人間」の描写を圧倒しており、大きな自然の前には人間のあれこれなど些細なことであるような気持ちになってしまいます。
主役の女性は、人間の家族に見捨てられた境遇を持ち、湿地という自然の中でひとり生き抜いて大人になります。湿地に往来する生き物たちから、生きる力を学びます。もちろん、彼女に関わろうという人間も登場し、その中には彼女にとっても読者にとっても心の救いとなるような存在も現れます。彼女は人間との関わりの中で、ごくごく人間らしい感情と教養を身につけます。それでも、最後まで読み進めると、彼女は自然界の倫理観をもって生き延びたのだと分かります。
久々に読み応えのある、読んで良かったと思わせる小説でした。
『火車』宮部みゆき
Twitter( X ですね)で知り合いの方が、日本人作家、予想外の結末、サスペンス、ミステリーといった条件でお薦めの小説を探していらしたので、もはや古典の趣さえある、宮部みゆきさんの『火車』を紹介してみました。
誰かに薦めると、自分自身もまた読み返したくなるものです。これまでにもう何度も読み返しているのですが、久々に再読しました。
初めて手に取ったのは、私が高校生の頃だったと思います。30年は遡るはず。あの頃から世界は、主にテクノロジー面で思いもよらない進化を遂げたけれど、それを取り巻く人間や社会には大きな変化はない。この小説も色褪せないと思います。
とある登場人物が「幸せになりたかっただけ」という言葉を残しています。その「幸せ」を感じるために、クレジットカードでささやかなお買い物を重ね、ついには自己破産してしまいます。資本主義経済が蔓延る現代社会では、実は誰でも陥る可能性のある顛末であると、また別の登場人物が解説しています。
高校生の頃の私は『火車』を読んで、「お金の使い方気をつけよう」と単純で浅はかでかわいい思いを抱いたものですが、改めて読み返してみると、「幸せとはなんだろう」という答えの見えにくい疑問が伸し掛かってきます。
『龍は眠る』宮部みゆき
こちらも『火車』に続いて再読した本です。宮部みゆきさんの小説の中では一番好きです。手元にある文庫本はボロボロです。
何度読み返したか知れないけれど、今回の再読では若い登場人物の言動に共感を持てない自分がいることに気づきました。共感を持てないどころか、イライラっとしてしまうくらいでした。年を取ったのだろうか、私。
他人が持っていないものを持っていることの苦しみを書いた小説です。宮部みゆきさんの初期の作品ではよく登場した「超能力者」が出てきます。宮部さんの好きなモチーフだったんですね。
私は超能力者ではないし、超能力者と名乗る人にも出会ったことはないし、かつてはこの小説をただの架空の物語として楽しんでいました。SF小説みたいに。
でも今は、超能力や超能力者の存在を、私が信じる信じない云々はともかく、小説に登場するような彼らが目の前に現れたらどうだろう、と考えたいなと思うようになりました。彼らが目の前に現れたら、超能力者としての彼らではなく、苦しんでいる人として受け容れたい。
『川のある街』江國香織
江國香織さんは、私が現代日本文学を好きになるきっかけとなった作家さんです。高校生の頃、友達が江國さんの短編集『つめたいよるに』を貸してくれたことから、一気にのめり込みました。『デューク』や『桃子』は、今読んでも鳥肌が立ちます。
江國さんの作品のどこに、どんなところに、私が惹かれるのかは、今は言い表せません。もう長いこと惹かれているのにね。でも、特に惹かれるなと思うのは、江國さんの描く「家族」の姿です。江國さんの小説に登場する「家族」はいつも素晴らしく面白い。
『川のある街』は、成田空港の本屋さんで買いました。先月のデンマーク旅行に出かける際にです。先に紹介した『ザリガニの鳴くところ』と並行して読んだ本です。『ザリガニの鳴くところ』は「湿地」が舞台で、それこそ主役のような扱いでした。『川のある街』にも「川」は登場するものの、ただそこにあるだけです。あえて江國さん風に表現してみると、小説全体に「川」から感じる湿度は漂っていた気がします。
「家族」も登場します。家族になる前の人々の姿、家族の一部の人々の姿、家族を失っていく人々の姿、そんな感じです。人ではない誰かの家族(というかパートナー、というか番い)の姿も登場します。いずれも、江國さんらしい描写です。「江國さんらしい」ってどこが、どんなところが、を説明することはできないけれど。
5月に読んでいる本
この「読んでいる本」という表現は変えないといけないな、と感じています。「読みかけの本」かな。「積んでいる本」かな。
「読みかけの本」も「積んでいる本」もあるのに、新しく読み始めてしまう本があるなあ。しかも、自分が読んでいる本の紹介って、やっぱり少し恥ずかしい。今回は『エイリアン3』とか、物凄く映画オタクの気配がする本がありますね。
やれやれ、今月もどうにかこうにか投稿できそうで安心しました。この記録の note は、実は書き始めてしまうと早いので、まずは「書き始める」ことが肝心ですね。
6月に読み終わった本についても、7月早々に投稿したいと思います。本当に投稿できるか、自分自身に自信が無いけれど。引き続きよろしくお願いします。
ここまでお読みいただいたことに感謝です。毎回生みの苦しみを感じつつ投稿しています。サポートいただけたら嬉しいです!