2024年3月 読み終わった本・読んでいる本
1月~2月に読み終わった本はこちら
3月に読み終わった本
自分で言うのもなんなんですが、なんか統一感が無いというか、志向が見えないというか、変なラインナップですね。
今回は、特に2つの本について感想を書きたいと思います。
思いがけず読後に心震える大きな感動が訪れた本
私がコーチングを学んでいる THE COACH の同期達と細々と続けている読書会で、國分功一郎さんの『中動態の世界』が課題本となったとき、果たしてこれは読み通すことができるのだろうかと思いました。
國分さんの著書は、今やどの本屋さんでも平積みになっているのを見かける『暇と退屈の倫理学』を読んだことがあります。これもまた、別の読書会において課題本として取り上げられたことをきっかけに読みました。読書会という、本を一緒に読み進める仲間がいる機会があったからこそ、読み進めることができた本でした。
『中動態の世界』も正直なところ、読み進めるのに困難を極めました。歯を食いしばって読み進めましたが、自分が果たして理解しているのかよく分からず、字面だけを追っているだけのような気持ちになりました。
読後の感想をシェアした読書会の仲間には、わざわざ下記のようなエクスキューズを伝えたくらいです。
学問する、研究する手法として、過去の学者の説を反論や仮定を持って読み解くことである、と実感する本
例えば自己の器の一端を支えるものに教養があると考えると、この本を読む意義を見出せるかもしれない(意義を見出さないと読み切れない)
理解したかどうかはあまり重要ではなく、どう受け取って、どう自分の栄養にしたかが大事だと考えたい(そう考えないと読み切れない)
カッコの中に入った「読み切れない」という言葉に、正直な思いが込められています。
でもね、読書会の仲間の力も借りつつ、なんとか読み切ったあとには、思いがけず心震えるような感動が訪れました。もちろん読み切った達成感もありましたが、私が理解できた限りでの内容に対する感動がちゃんとありました。
ここに参考になるかならないか分からない(たぶんならない)、私のメモのごくごく一部を残しておきます。
背景や文脈を読むことが大事そう
言語が思考を規定するのではなく、言語は思考の可能性を規定する
選択は「いまここ」の積み重ね、「いまここ」は気づかないうちに流れてしまう
日常は非自発的同意、仕方なく、で溢れている
意志イコール断ち切る力
個物は絶えず他の個物からの刺激や影響を受けながら存在
自由の話だったのか、中動態って
ハンナ・アレントのこと知りたい
コーチングを学ぶ仲間と読み進めたせいか、「コーチとして」読み進めたなかで響いた内容がいくつかありました。クライアントを信じるとか、クライアントを承認するというような、コーチングのスキルを身につける助けになると思います。
現代純文学を読むって大事だなと感じた本
私はもともと小説読みです。エンタメ小説もたくさん読みますが、どちらかというと、いわゆる純文学が好きです。特に現代純文学ですね。村上春樹、カズオイシグロ、江國香織、小川洋子あたりの作品が本棚に並んでいます。
中学、高校生の頃には、教科書に載っているような、読書感想文の課題になるような作品はかたっぱしから読みました。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、森鴎外、などなどですね。
具体的に何がどういう風にかは説明できないけれど、思春期に純文学を読むことって大事だなと感じています。そしてもちろん、読み続けることも大事だな。
ただ、最近の私はすっかり純文学から足が遠のいていました。読むは読むけど、昔に比べると格段に減ってしまった。そして、純文学離れしたことで、私の人としての何か、いわゆる自己の器みたいな何か、私のコアの部分を損なっているような気がしていました。「何か読まないと!」という危機感を感じるくらい。
そんなときに出会ったのが、パオロ・ジョルダーノの『タスマニア』です。
最近通い始めた図書館の新刊コーナーに並んでいました。
パッと目を引く美しい表紙と、いつかは行ってみたいと思う憧れの地の名前と、そして作者「パオロ・ジョルダーノ」の名前、それぞれに魅かれました。
パオロ・ジョルダーノはイタリア人の作家です。本屋さんでは『素数たちの孤独』をよく見かけますね。(未読なので、これから読む!)
教養の低さ或いは狭さが知れるようで、本当に恥ずかしいのですが、私は「イタリア」のイメージに「食の文化」以外の強い印象を持ったことがありませんでした。「イタリアと言えばイタリア料理」というイメージしか無かった。
それが、ここ数年になって、イタリア人現代音楽家との出会いがありました。ピアニストのルドヴィコ・エイナウディ、チェリストのジョヴァンニ・ソッリマの二人です。来日公演に足を運んで、ああ、イタリアって食の文化だけじゃない、と感動しました。・・・恥ずかしい。
さてさて、そこでパオロ・ジョルダーノの『タスマニア』です。
何かが柔らかく優しく刺さったような読後感でした。柔らかくて優しいけど「刺さった」ので、衝撃というか圧迫というか、重量と鋭さを感じました。やんわりとした注意か警告を受けた感じ。
ひとりの男性の人生のとある期間の物語です。まさに今の「現代」の話なので、私たち読者も直面している現代社会の問題や、個々人の悩みだけれども実は多くの人が共通して抱えている問題が登場してきます。
主人公の男性が、それらの諸問題に向き合ったり、目を逸らしたり、向き合えないけど気に病んだり、そんな風にしている様を、傍らで見ているような気分になります。他人事ではない、と痛切に感じます。
読み進めていると、村上春樹の小説を思い起こさせるなあ、と何度か思いました。とても平易で整って読みやすい日本語訳です。元のイタリア語がそうなのかどうか分かりませんが、とても静かで、でも何か抑えているような、そんな雰囲気のする文章です。
何かが柔らかく優しく刺さったような読後感により、私は「私の人としての何か、いわゆる自己の器みたいな何か、私のコアの部分を損なっているような」何かと向き合うことになります。これぞ、純文学がもたらす効果だなと思います。
ちなみに表題の「タスマニア」は、とある会話の中で一言触れられているだけで、オーストラリアのタスマニア島が舞台の話ではありません。日本人読者にとって特に興味深いと思われるのは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の話が出てくることです。広島と長崎も主人公が訪れる地として登場します。
さて、その他の本についてもさらっと紹介しておきます。
『ハンガー・ゲーム2 上下』『ハンガー・ゲーム3 上下』
先月読了していた『ハンガー・ゲーム』の続きですね。言わずと知れた映画作品の原作本。図書館に揃っていたからこそ読んだ、というのが正直なところです。息抜き用のエンタメ小説。楽しめました。
『アンを抱きしめて 村岡花子物語』
今までに投稿した note のあちこちで言及しているのですが、モンゴメリの『赤毛のアン』が大好きです。村岡花子さんの翻訳によるアンシリーズが大好きです。その村岡花子さんの生涯を分かりやすく絵と言葉で纏めた本がこちらなのですが、一番印象に残ってしまったのは村岡さんの親友として登場する柳原白蓮の生涯でした。
『鳥獣戯画の国』
こちらも図書館で借りた本。日本画に登場する「小さきもの」がたくさん登場します。日本文化には「小さきものを愛でる」心持ちがあるのだと分かる本です。河鍋暁斎の作品が特に好きです。
『自由への手紙』オードリー・タン
紙の雑誌が無くなってしまったクーリエ・ジャポンによる、オードリー・タンへのインタビュー本です。ひとりの人として本当に素敵な人であるということが、編集後記あたりの言及でよく分かります。もちろんインタビューの内容も新鮮で学びが多い。日本人の私たち(すみません、ひっくるめて)との視点や視座の違いに感銘を受け、思わず自分たちを憂う気持ちが湧いてしまいました。
『古事記』ビギナーズ・クラシックス
神々の話から人間の話になったあたりでピタリと止まってしまった『古事記』も最後まで読み終えました。この本はほんの入り口という感じなので、これからまた物語として読めるような『古事記』を探します。それにしても面白い成り立ちだなあ、日本って。他の国の神話も気になりますね。
3月に読んでいる本
なんか1月から代わり映えしないです。そもそも「記録」アプリに記録をつけることを怠っている気がします。ここに載っていない本もありそうです。
目新しいのは、メルヴィルの『ビリー・バッド』ですね。これはなんと、國分さんの『中動態の世界』のなかで取り上げられている作品です。「中動態」という状態を現実世界の中で例を挙げるとすればこういうことである、と説明するために『ビリー・バッド』が登場します。
メルヴィルと言えば、読み通すのが困難で有名な『白鯨』の著者です。『ビリー・バッド』は『白鯨』ほどの厚みはありませんが、私にはちょっと読み辛い・・・。純文学を読むべきというようなことを述べておきながら、挫折してしまいそうな気がしています。
むしろ、『中動態の世界』の第9章「ビリーたちの物語」を読むことで、『ビリー・バッド』も読んだ気になれますので、『中動態の世界』を読むことを薦めたいと思います。
やれやれ。3月の分もなんとか投稿できそうです。もう4月も半ばに差し掛かっていますね。来月はもっと早めに投稿したいと思いつつ、5月頭は旅行の計画があるので、どうかな。
でも、この「読み終えた本・読んでいる本」の note はコツコツと続けて行きたいと思います。よろしくお願いします。
ここまでお読みいただいたことに感謝です。毎回生みの苦しみを感じつつ投稿しています。サポートいただけたら嬉しいです!