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絶対的存在③

(絶対的存在②のつづき)

ある子育てママに100万円が届く、
という話。

僕と出会ってから、
100万円が届いた訳じゃない。

でも、彼女は
思ってもいないところから
100万円が届いた、という体験を
忘れていた。

しかし、僕との偶然の対話から
そのことを思い出し、

その時の感情がどうであったか、
を質問することで
その人に想像(創造)してもらった。

僕としては、

その人にそういうことがもたらされる
偶然の出来事のように
思えることでさえも、

その人自らが無意識であっても、
創造した結果として
もたらされていることを理解している。

すると、その日
新たに20万円が届けられた、
という報告があった。

あの時感じたことを
創造してもらうことで、

同じようなことが
もたらされるということを
信じている僕がいることで、

それを信じた彼女と
共同創造が起こっている。

とまぁ、
これはキャッチーな
お金がもたらされた話を
選んだわけだけれど、

大事なことはそんなことではない。

近くに信じてくれる人がいたら、
その人もやがて、信じ始め、
その信念は強化される

共同創造が起こる、という話。

特に僕の場合、
それがどうやら
子育てママに届くらしい、
という結論となった。

僕は、
結婚してから7年ほど経った頃、

3ヶ月ほど
家出をしたことがある。

夫が、妻に「出て行け!」というのは、
昭和生まれの僕の世代では
よくあった話だけれど、

僕は、出て行けではなく、
出ていく、だった。

3ヶ月、
1人マンスリーマンションに住む。

なぜそうなったのか?

僕も、妻も
忙しかった。

子育てをする家庭で、
夫婦共働きも当たり前になった時代では、

それが普通かもしれない。

しかし、
ママとしての仕事は
今でこそ「育メン」なんて言葉があるけれど、

そんなことを発想する前の
世の中だったように思う。

僕は残業で夜中に帰ってくる
サラリーマンだったし、

妻は妻で
ママとして仕事があっても

子どもが熱を出したら
休まなければいけないし、

お弁当だったり、
お迎えだったり、

夜泣きをしたら
おっぱいをあげたり、

それに加えて
家事があるし、

家計や子どもたちの将来の
心配だってある。

自分の好きなことに
お金も時間も使えない。

その頃はわかってなくても、
それでも妻の負担を
減らしたいと思って、

家事をするようになったり、
お金を管理したり、

営業先から直帰してお迎えに行ったり、
料理をするようになったり、

昼ごはんや
付き合いを減らしてみたり、

いろいろしてみたけれど、
妻のイライラは
なくならなかった。

もっとやれば、
イライラはなくなるかもしれない、

そう思って、
いろんなことをやってみても、

それでは追いつかないくらい
妻もいっぱいいっぱいだった、
のかもしれないし、

そんなことぐらいでは
全然足りない、
ということだったかもしれない。

小遣い制の
財布はいつも小銭しかなく、

コンビニでポイントを
コツコツ貯めて、
唐揚げを食べることに喜びを
見出していた頃、

僕はプツンとキレた。
家出をする。

僕は一体何を欲しかったのか?

妻の顔色を見るようになっていた。
今日は家に帰ったら
どんな顔をしているか?

もちろん、
そんなことばかりではなく
妻や4人の子どもたちと
幸せな家庭を築いている。

でも、
僕は日中仕事に行って
1人になることにホッとしていた。

家に帰っても、
タバコを吸うための換気扇の下が
僕の定位置だった。

妻の機嫌が悪い時は
特にそうなっていた。

さて、ここまで
僕の視点のことを書いているけれど、

一方、妻は全然違う世界を見ていて、
僕のひどい有様に
イライラしていたかもしれない。

創造する、ということは
現実に出現する。

僕は何を創造していたか?

妻にイライラして欲しくない。

つまり、「イライラ」を
創造している。

僕自ら、妻がイライラする、
ということをずっと創り続けていた。

なにをしたところで、
その創造が先にあり、

その現実は出現する。

かくして、
そういう世界を創造したんだと思う。

この時、
2人がかりで

結構稼いでいた。

しかし、
なんてひもじい生活をしていたんだろう。

財布には小銭しか入ってない。
節約し、贅沢もしない。
あれにもお金はいるし、
これにもお金がいる。

お金がないと困ったことになる……

全てを創造し続け、
そうなった。

妻がイライラしているのが
嫌だった、それだけだ。

それは、
言い換えてみると

「妻(ママ)が笑っていて欲しい」なんだ。

最初に書いた
共同創造。

これは現実に形となって現れる力が強い。

僕は、妻がイライラする世界を
創造し、
2人でひもじい生活になる世界を
共同創造し続けていたことになる。

僕が妻のそばで
イライラする世界を創造し、
それを信じたからだ。

妻もそれをいつのまにか
信じていくことになる。

僕はあの頃と違うことを創造している。
会社を辞めて、コーチとして独立し、

お金を稼いで、

いつか立ち止まり、
稼ぐことをやめ、

収入がなくなったときも、
あの頃とは別のことを創造し続けていた。

妻が、ママが笑っている世界だ。

するとどうだろう?

ママが笑うと、
子どもたちは笑い、
パパも笑い、
日常の幸せがここにある。

創造することは、
目の前に現れる。

お金がやってくる、
というのもそうだが、
(収入がなくなった時も
やはりやってきた)

もし、それがなくても、
幸せは揺るがず、

笑顔もなくならない。

あの頃よりも、
僕は豊かになっている。

精神的にも、肉体的にも、
経済的にも。

だったら、今何をしたい?

絶対的存在というタイトルだけど、
女性、ママというのが

僕には絶対になれない存在であり、
この世界の重要な鍵を握っているように思う。

  • 共同創造

  • 目の前にいる人を信じるコーチ

  • 鍵を握るママ

近くに信じてくれる人がいたら、
その人もやがて、信じ始め、
その信念は強化される

僕を見つけてくれ。

僕がコーチとして、
あなたの共同創造のパートナーとなるだろう。

あなたが本当に実現したいこと
あなたが本当になりたい姿
あなたが本当にどうありたいか

これをあなたが信じ、
コーチとしての僕が信じるなら、

それは共同創造で強化され、
現実に顕現する。

というわけで、
直感ピンーときた人は、

応募してみてほしい。

応募先は、
コーチのお店
コーチのりょうくんまで。

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