部下の話を聴くということ。

聴くということが実際にどれほど難しいのかは,「聴く」を学んだことがあるひとならたいてい実感できると思う。

聴くということを,意識していないと「私はしっかりと部下の話を聴いている」という見当違いのポジティブ自己評価になりがちなのではないだろうか。

かく言う僕も,自分が話している時間と部下が話している時間が8:2ぐらいを目指して話をしたいと思っているのだけれど,気が付くと自分がしゃべっている時間の方が長くなってしまうこともしばしば。

なんだか伝えたいことを全部伝えようとするといつの間にか聴く立場から話す立場になってしまっているのですよ。


これはつまり部下の方が自分よりも「この仕事」に関しては知識が少なく,教えなくてはならないことがたくさんあると思っているんじゃないだろうか。

実際は,上司の口から話をきいてたとしても,そのまま知識になるなんてことはあんまりなくて,右から左へスルーしてしまうものなんだけれど。


これをスルーさせずに真剣に聴いてもらうには,その前提として「信頼」ひいては「聴くこと」が大切なわけです。


自分の考えや気持ちを受け止めてもらえると信頼感が生まれ,信頼感をもった相手の言葉は一生懸命に受け止めようという気持ちになる。これはオトナも子どもも変わらない。お父さんやお母さんの言葉がスンナリ入ってくるとするなら,それは信頼感が高まっているときだけ。わかってもらえていないと感じている相手の言葉が響くはずないんだよね。


で,しっかり聴くってなんだろうかというと

最低限
言葉を遮らない
否定しない
自分の価値観に照らしてジャッジしない
相手の言葉をどう返そうか?なんて考えながら聴かない
どう論破してやろうか?なんてもってのほか

要するに,積極的に理解をしようと一生懸命に聴くこと。
理解をしようとするということは,説得したり,説教したり,間違いを正そうとしたりすることとはまったく違う。

もしかしたら僕を含めた世の上司たちは,こういう「縦の関係」を保ったまま話を聞いているから,実際には聞いていたとしても「聴いてもらっていない」と感じさせてしまうのかもしれない。



でも間違いは間違いで正す必要はあるだろ。

と感じてしまったひとは

そういうことがもしや「聴く」の難しさなのでは?と考えてみて欲しい。間違いを指摘してはいけないということではなくって,いかにしてそれに気が付いてもらうか?(あるいは気が付く必要があるのかどうか?)ということと真剣に向き合って欲しい。


その方法としてもっとも安易で,効果性が低い方法が「怒鳴る」とか「叱る」みたいなことで,反対に難しくって効果的な方法のひとつが「聴く」ということなんだろうなぁと僕は今考えていたりします。

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