見出し画像

2024年1月:大阪にあるベトナム領事館に、息子のベトナムパスポート更新に行ったら、そこにいたベトナム人の若者たちが醸し出す雰囲気が眩しくて、ベトナム文化を感じて「あぁ、これこれ」ってなった話

これまでの「経歴と経緯の話」とは少し離れて、価値観の話を書きました。
あんまり周囲の日本人に、私と同じ価値観っぽい人が少なかったので、「へーこんな考えもあるんだな」と思ってくれる人がいると嬉しいです。


今回はベトナム人の行動規範の文化的なものを通して、少子化や人口減少について考えてみた文章です。
妻と息子達はベトナムのパスポートをもっているので、日本に住んでいるときは数年に一度、パスポート更新のために東京か大阪のベトナム大使館・領事館へ行く必要があります。
このときは大阪の領事館に行ったのですが、そこで起きたことがものすごく印象的だったので、Facebookに残していた文章です。一部修正しながら再掲します。


朝9:00からの領事館受付業務が開始だけど、事前情報で8:30くらいに行かなないと、ものすごく混むという噂を聞いていたので、8:30ごろ到着。
受付をすると既に順番待ちは20番目。西日本に住むベトナム人が集まってくるので、混むことは仕方ないが、その時点で「あぁ…」とちょっと憂鬱に。3時間くらいの待ちを覚悟した。

でも、1歳と5歳の子どもを見たベトナム人の若者達は、我先にと座ってた椅子から立って、席を譲ってくれた。
また、子どもがグズらないようにあやしてくれたり、「どこから来たの?何歳?かわいいね」と妻に色んな人が話しかけてくれたりした。
もちろん、今日偶然そこに集っている人々なので、全然知らん人同士なのだろうけど、なんだかんだ世間話しながら、それなりに楽しそうに待ってる空間だった。
そして、1時間ほどたったタイミングで、たぶんスタートからだいたい6番目くらいだったと思うが、受付のおじさんが、なんの前触れもなく妻と息子を呼んだ。
そこに周囲への説明もアナウンスも無かったが、あとから聞いたところ、たぶん「子どもが小さいから、先にやっちゃおう」的な話だったらしい。
何人かの人は順番が抜かされているわけだが、別に文句を言うこともなく、不快感やあるいは賛同などの表明もなく、淡々とその場が進んで行った。当たり前すぎて、誰も意識してない様子で、驚いている僕だけが、その場で異質だった。ここは、大阪にあるがベトナムだった。
久しぶりにベトナムの文化に触れて、「あぁ、これこそが今も子どもが増え続ける国の空気感だよなぁ」としみじみ思った。

日本は、少子化対策といって、昔に比べてお金はかなり優遇されていると思う。今、子育ての当事者として金銭面で子育てが大変と思うことは、特に無い。医療費も予防接種も、保育費も無償だし。児童手当も出るし、扶養もあるし。安全な子育て用品がドラッグストアとかで簡単に安価で手に入るし。
ただ、こうした精神面のケアというか、「子育て大変だから、みんなで優しくしようぜ!泣いたらみんなで子どもをあやそうぜ!」的なものは、あまり日本では感じない。そういうことがあったら、超ラッキーという感じ。そんな中で、当たり前にこれらが発生するベトナムのこういうのに久しぶりに触れると、「いいなぁ」といううらやましい感情が、懐かしさと共にしみじみ生まれた。

日本の少子化という課題を解決できるかどうかは、この辺りがキーでありネックな気がしている。



現状、日本の社会問題の筆頭は少子化+高齢化です。この二つのダブルパンチによって巻き起こっている連鎖した課題は多く、加えて言えば日本だけではなく世界中の国がこの問題に取り組んでいます。

これらの人口問題を解決するために、選択肢の一つが「もっと産む」ってことになるのですが、これがめちゃくちゃ難しいです。
当事者として私も結婚と、妻の出産→育児というものをここ6年ほどの間に経験してますが、シンプルに子育ては大変です。一人でいるときより、そりゃお金もかかります。「家族が大切で好き、幸せ」的な感情は、「シンプルに大変でお金がかかる」という事実を覆い隠してくれるものではないとも考えています。どっちも同時に存在しています。プラスがとても大きいからマイナス打ち消されてなくなるって話じゃないんですよね。


少子化対策でフォローしようとしていることは、この中で「お金がかかる」の部分のような気がします。そしてこれについては、前述の通り、我々が子ども時代のころよりもずいぶん充実したと思います。
一方で「シンプルに大変」の部分は、有効なアプローチができていないと感じています。そしてこれは、「子育て」とか「少子化」的な文脈では解消しないように思っています。

シンプルに大変な部分をクリアしていくためには、もっと包括的に、「ご近所が仲良し」的な文脈が必要だろうというのが私の感覚です。
ただ、現在の日本で、「ご近所が仲良し」を求めている人は少数派でしょう。
特にイベントが無くても、周囲の人と挨拶して、特に約束してなくても隣の家に集まってなんか一緒に雑談して、ちょっと多めにもらったおいしいスイカをお隣に分けているという状況は、現在を生きる日本人の皆さんにとって望ましい生活でしょうか?
たぶん「たまにならまだいいけど、いつもそれはちょっと…うっとうしいかなぁ…」ってなる人が多いように思います。私もベトナムに行って、どっぷりとローカルの村民生活を体験するまではそうでした。

ただ、超密接ご近所体験を一度してみると、アレルギー反応のように嫌だなぁと思っていたのが不思議なくらい、こうしたローカル+リアルのつながりは心地よくて心理的な安全を感じるものだなぁと思いました。
もちろん、面倒くさいは面倒くさいんですけどね。少なくとも子育ては5倍くらいイージーになります。「ちょっと見といてー」ができるの、強いです。どっちにストレスが無いかという価値観の話ですね。

現状は、どんどん地方の若者を大都市圏に吸い上げて、大都市圏で個別で孤立した核家族郡を作った上で、子育ての大変さを児童福祉で解決しようとし、あるいは金銭的に楽にするから、人口増やしてくれというアプローチは違うなぁと思うわけです。何もやらないよりはもちろんいいんですけどね、根本的には解決していかないだろうなと感じています。

このあたりのことを考えると、私はもっとちゃんとローカル+リアルをやっていきたいですね。
これは国策という大きな話より、地方自治のような小さな単位に解決策があるようにも思ってます。
距離を越えてデジタルを通して感じる幸せは革命的だなぁと20代くらいのころは思っていましたが、最近はリアル強いなぁと思いなおしていて、こうしたインターネットとかデジタルに対して一周回って疑問があります。

▼別記事:国際結婚した経緯の話▼


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?