2011年2月~:楽しく生きてるだけなのに「がんばってるね!」と褒められるので、学生時代の留学ってお得。非英語圏留学もいいぞというポジショントーク。
TOP写真は、2017年ベトナムに行く前の2か月の準備期間に、ためしに博多から船で釜山に行ってみたときの写真
行きたいという思いだけで始まった留学生活
韓国留学を始めたのですが、「目的」のようなものは特にありませんでした。日本で教員採用試験を受けて小学校教員になるつもりだったので、韓国語をマスターしてこれからの選択肢を広げよう的な気持ちも特にありません。
一応事前に愛知教育大学の中で開校されている、第二外国語科目の中で、韓国語の講座があったので先生に相談してそれを半期分聴講させてもらったくらいの事前準備で韓国へ行きました。
「천사 같은 미소입니다. チョンサ カットゥン ミソイムニダ」(天使のような笑顔ですね)という構文だけは発音を完璧にして、留学すぐのときは、基本ずっとこれを言っていました。おじさんにも学生にもありとあらゆる人に初手言う言葉としては素晴らしく、「なんか面白いやつがきたぞ」と思ってもらえるインパクト抜群の自己紹介になりました。
どうせ海外に行くなら、一般的な「旅で使える〇〇語」的なものより、「世界中が敵になっても、僕はあなたを愛します」くらいの構文を完璧にしていくと、コミュニケーションが発生して面白いと思います。
大学院留学生として、オフィシャルにやっていたこと
韓国の晋州大学校に入り、学生寮で住むことになりました。朝昼晩と寮で食事が出るので、まったく生活の心配は無く、冷暖房もついていて、飲料水も確保できていました。
大学の授業も、ノルマのようなものは特になく、「言葉が曖昧でもなんとなく参加できるから」という理由で、体育と美術と、伝統舞踊の授業をとりました。また、「流石に全く研究に関係無い留学になるとまずいかなー」と思い、生活科の授業をとりました。
そのとき愛知教育大学の大学院では、生活科・総合的な学習について研究していたので、韓国の低学年統合教科の、生活科について学びました。今はどうなっているか全く知りませんが、当時韓国の小学校低学年は、国語、算数、賢い生活、楽しい生活、正しい生活 と5科目を行うという構成になっていて、日本の音楽と図工と体育が統合した「楽しい生活」が存在していました。低学年は遊びの延長で学ぶので、教科教育の垣根をとりはらっていこうという理念の元に、教科統合が行われていた経緯があります。
日本人で、これらをしっかり文章にまとめている人が当時少なかったので、この中で日本の生活科に一番近い「賢い生活」について書かれている韓国語を翻訳して、授業を見学し、その授業をテープ起こしして分析して日本の生活科と比較する的なことをしました。修士論文のテーマとは直接関係なかったのですが、付録につけたら楽しいんじゃない?と指導教授も言ってくれました。
こんな感じで書くと「ちゃんと学んでいた感」が出ますが、実際は週に1回の生活科の講義を、がんばって事前にテキストを翻訳した状態で聞いて学び、隣にある附属小学校の先生に頼んで低学年生活科の授業を3回くらい見せてもらい、研究授業のときに録画してもらって、その録画のテープ起こしを当時つきあってた韓国人の彼女にお願いし、それを日本語に翻訳するって感じなので、作業としてかかった時間は2か月くらいで終わりました。
勉強以外にやっていた日々のこと
それ以外の暇な時間は、韓国人の友達とお酒を飲んだり、テコンドーサークルに入って地元の道場でテコンドーをしたり、韓国人のおじさんとお酒を飲んだり、寮の部屋でひたすら日本のアニメを見たり、留学後4カ月くらいして謎に発症した蕁麻疹のために、入院した病院で仲良くなったおじさんとその仲間たちとラフティングにいったり、mixiゲームのブラウザ三国志というゲームで洛陽をその手におさめるためにがんばったり、韓国人の教授とお酒を飲んだり、ソウルまで夜行バスで行ってゲストハウスと銭湯の仮眠室を泊まり歩いて2週間すごしたり、そこで会ったフランス人とお酒を飲んだりしていました。
特にテコンドーの道場の館長には大変お世話になりました。大学サークルで借りていた時間以外も、テコンドーを学びにきていいぞと言ってもらって、テコンドー黒帯にあたる初段までとらせてもらいました。夜予定が無くて行きたいときに行くというスタイルで、いついっても受け入れてくれて、テコンドー協会の昇段試験のようなものの登録とか、その会場への引率とか、全部やってくれました。しかも1年間の道場の利用料も、昇段試験の受験料も、その後もらった名前入りの黒帯も、全部無料でプレゼントしてくれました。館長がもっていた手持ちミットを蹴ったらそれが吹っ飛んで天井に刺さって穴が開いたときの修理費も、請求されませんでした。
初段黒帯を取得した後も、ずっと続けて道場に通ったので、三段くらいまでの型を覚えました。でも、初段をとってから次の昇段を受けられるまでの期間が留学期間では足りず、黒帯を記念にとれてよかったなーという感じでテコンドーを終えました。23歳当時は蹴りが凶器レベルで、蹴ろうと思えば180cmくらいの人の顔は蹴れましたが、今それやったらたぶん、自分の股が変な方向にねじ切れて救急車です。
入院したときに同室だったおじさんのエピソードも印象深いです。誕生日の1週間前に突如発熱と全身に蕁麻疹がでるという症状になり、原因をさぐるために入院することになりました。2週間くらい入院したのですが、結局原因は「草のアレルギー反応」という謎の診断で、よくわからず退院しました。
そのとき2人部屋で、怖そうなおじさんとすごすことになりました。入院中の同部屋のおじさんに対して小粋なジョークが飛ばせるほど韓国語に自信がないので、だまってずっとネットゲームをしていました。また、そのおじさんもなんで入院しているかわかんないけど、夜な夜な病室を抜け出して外泊していたり、病室でガンガンお酒飲んだりしていたので、破天荒だなぁと思っていました。
一足先に退院して、その後の事後検査みたいなもので3日後くらいにもう一度病院に行きました。なんとなくそのとき、2週間も一緒にすごしたおじさんに何もないのは良くないなと思って、病院のコンビニでロッテのチョコパイを買ってお見舞いにいくことにしました。
チョコパイを渡すとおじさんはめちゃくちゃ喜んでくれて、明日の夜またここに来いと言われました。指定した時間に行くと、3家族くらいが病室に集まっていて、床に料理が並べられていて、パーティが始まりました。
数日後、電話で今から遊びに行くぞと呼び出され、病院の前に行くと、おじさんの友達と一緒に川下りのラフティングに行きました。その後「韓国では焼肉と言えば豚だが、日本人は牛なんだろ?韓国の牛の焼肉を食べさせてやる!!」みたいな流れで焼肉をおごってくれたりしました。チョコパイがラフティングと焼肉につながるというわらしべ長者感がありました。結局おじさんがなんで入院してるのかはわかりませんでした。
寮で過ごす日々も印象深いです。特にサッカーの日韓戦が行われたときは、身の危険を感じました。韓国人男子にはこんな笑い話があります。
「韓国の男がする話は3つある。サッカーをした話。軍隊にいった話。軍隊でサッカーをした話だ。」
100人くらいで寮のテレビを見ているのですが、日本人は私1人で、あとはみんな韓国の応援をしています。
結局その日は日本が勝ったので、落胆する100人の韓国男児たちを横に、「なんかごめん…」的な気分で部屋に戻ったのを覚えています。正直途中から「韓国勝ってくれ!」とか思ってました。
やたらめったら不思議と褒められる日々に、自分の認識と世間の認識とのズレを感じた話
そんなこんなで、日々いろんな突発的なイベントがありながら、特にストレスも無く楽しくすごしていたのですが、不思議なほど周囲の人は「よくがんばっているね!」と言ってくれました。それは日本人も韓国人も関係なくです。正直日本で学生をしながらバイトをしているときのほうが、よっぽどがんばっていて、韓国では楽しく生活してただけ感があるのですが、「がんばっている!」と言われました。
最初はしっくりこなかったのですが、最後の方は否定するのもあれだったので、「ありがとうございます!がんばってます!」とか言ってました。日本に戻った時も、ありとあらゆる人が英語圏ではない異文化で「よくがんばったね!」と言ってくれました。すっげー楽しかっただけだけど、まぁいっかと思いました。
このあたりの、別に特にがんばってないけど、レアが故に評価されるっぽい「評価のエラー」がこの世の中にはありそうだということを、学生時代に経験できたことは、その後の人生でものすごく大切でした。
あと、韓国語は日本語にめっちゃくちゃ近いので、そこまで努力してなくても、ある程度のところまではすぐに到達できるという国を選んだのもラッキーでした。当時はドラマを見ていてもだいたいなんとなくはわかる程度にはなったので、「韓国語をしゃべれるようになってすごい」みたいな評価を得ました。使う場面はほぼありませんでしたが、「なんかすごい」と思ってもらえるのは、得する機会が多かったです。
また、もちろん英語を話せることの人生でのメリットはめちゃくちゃ大きいと思うのですが、あまりにも多くの人がだいたい英語話せて、話せるのはそこまでレアではないので、留学によってそれを取りに行ってもなぁという感覚もあります。英語というスキルでいうと国内で伸ばせると思うんですよね。非英語圏への留学というのはレア度が高くて、その経験単体の価値は高くなることが多いなぁというのが実感です。お得ですね。英語圏を選ぶ場合は、英語プラス何かを掛け合わせないと大きな価値が生まれない感じがしますね。語学だけでなく、「アメリカが好き!ニューヨーカーに憧れる!」とか「カナダが好き!移民多文化共生の社会で生きていきたい!」とかならめちゃくちゃいいと思います。
仕事をしはじめて、ベトナムに住んだときに韓国留学の経験が少し顔を出す
すごく楽しい留学生活ですが、「韓国で仕事をしたい」とは特に思いませんでした。
それは自分が教員になることをイメージしてたのもあると思うし、それ以外自分の価値を発揮できそうなイメージをもたずにそこにいたからというのもあるかもしれません。
ベトナムは「ここで生活をしたい」という魅力を感じたので行きましたが、韓国は「ここで労働をして生活していくのは大変そうだな」という印象があります。とてもとても競争が激しく、みんなが上を目指す雰囲気がありました。
その後10年経って、韓国の少子化問題とか、ソウルに一極集中していく社会の様子とかを見ると、当時感じた「厳しさ」のような肌感覚と合致していて、そうだよなぁと思うところはあります。
一方で、ベトナムにいたときに、積極的にベトナムに投資をして、世界進出している韓国の側面を見たときはさすがだなと思いました。ハノイも日本人街より韓国人街の方が圧倒的に大きく、ハノイにある韓国人のおばちゃんがやってる食堂も、ものすごく沢山ありました。
ハノイの韓式食堂でおばちゃんに韓国語で話しかけて、日本人だけどハノイで先生やってると言ったら、すごく驚かれて仲良くなれたりしたので、昔取った杵柄が何に活きるかはわかりません。
こんな感じで、ビジネスとして韓国がぐいぐいきているのは、競争社会韓国を見てきた自分としては納得できるところもあります。
小学校教員を定年まで続けていたら、韓国留学は活きなかったかもしれないけれど、そうでない人生を生きている自分には、この留学が活きた場面がとても多い
留学のとき身体化した感覚とか、得た知識のようなものは、何に活きるかがそのとき分からなくても、その後の人生でひょこっと顔を出すことがあります。
これらは、まだモラトリアムとして許される学生の内に行っておくのが、その後の選択肢の幅を広げる意味でもいいなぁと心から思っています。個人的には高校で留学とか、高校から海外進学とかはとってもいい機会だと感じています。
できれば我が子も、そうやって海外という選択肢を気軽にとれる10代中盤以降をすごしてほしいなという願いがありますが、これは完全に親である私のポジショントークですから、実際我が子がどう育つかはわかりません。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
最後にスキを押していっていただけるととっても嬉しいです!
よろしくお願いいたします。
▼韓国留学のきっかけはこちら▼
▼やまだしょうの人生の略歴はこちら▼
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