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2011年2月:ふとした出会いから韓国に魅了され、両親に反対されながらも、大学院生の間の1年間韓国に留学することを決めた話

愛知教育大学の大学院生のときに、韓国に1年間留学しました。
私の経歴の中でも「なんであえて韓国に留学しようと思ったの?」「なんで英語圏じゃなかったの?」と聞かれることがとても多いので、今回はこの部分について紹介していきます。
ちなみに、韓国語話せるんですか?ともよく聞かれますが10年以上前に1年間だけいっただけなので、今はほぼ忘れました(笑)


アカペラにはまって、サークルに打ち込んだ大学生時代

元々私は、愛知教育大学で4年間大学生をしたら、愛知県の教員採用試験を受験して、公立の小学校の先生になるつもりでした。両親が教員でしたし、高校生のときのあるエピソードがきっかけで愛知教育大学の受験を決めてからは、その道以外はあまり見ずにキャリアをイメージしてきました。
ところが、愛知教育大学で「アカペラ」に出会い、サークル活動にのめりこむことになります。アカペラはもうとにかく手軽!人が集まりさえすれば歌えます。道具もいりません。電気もいりません。雨風がしのげれば外でだって練習できます。この手軽かつうまくハーモニーをつくれたときの感動にとりつかれてしまい、「もっとアカペラやりたいなー、もっと大学生を続けたいなー」と思うにいたりました。これが大学2年生のときです。

そこで、大学生を続けるには大学院に行けばいいという圧倒的なソリューションを思いつきます。両親にも正直に「アカペラを続けたいから、大学院に行きたい。学費を出してほしい」と相談しました。すると両親は「動機が何であれ、大学院に行くのであれば勉強はしなければいけないし、これから教員で修士をもっていることは必ず強みになるから、応援はする。ただし、卒業時期が伸びていけば団塊の世代が退職して採用試験に受かりやすいタイミングを逃してしまうので、留学をするか大学院に進学をするかどちらかを選びなさい」と回答されました。

その当時は海外には全く興味がなく、「OK!ならば大学院だ!」と深く考えずに即決して、大学2年生にして、アカペラを続けるために愛知教育大学の大学院を目指すことになりました。

大学から大学院へのスムーズな接続のために、6年一貫コースという特別なコースに編入

さらに渡りに船なのですが、ちょうど私が大学2年生だった当時、愛知教育大学で「6年一貫コース」というものが立ち上がったところでした。これは修士をもった教員を育成するために、大学生と大学院生の接続をスムーズにしていくための制度で、大学3年生から大学院進学を希望して6年一貫コースに進学すると、大学院の入学金が免除になったり、4年生から大学院の授業を先取りして受けることができたりと、M2のときに修士論文に集中する環境が作れるというものでした。
大学院にいくことを決めていた私にとっては、デメリットが全くない制度で、2年生の冬に6年一貫コースの受験をし、晴れてコース編入が認められました。

そして3年生の春、6年一貫コースのガイダンスを受けました。そこで「韓国姉妹校晋州教育大学校への1週間の交換留学プログラムが集中講義として大学院で一般教養の単位となる」ということを知ります。その当時は本当に海外に興味が無かったので、「旅行をして単位が出るならいいなー」くらいの軽い気持ちでガイダンスを聞いていましたし、まぁ一回学生の内に海外旅行をしてみてもいいかなーくらいの気持ちでいました。
そして、そのプログラムに参加するための条件として、5月の愛知教育大学の大学祭の期間に合わせて、その晋州教育大学校から韓国人の大学生が1週間の交換留学にやってくるので、アテンドのお世話をするようにというミッションがありました。

大学院の単位のために、韓国の短期研修プログラムに参加することになった

ただ、大学3年生の私は、サークルで出展するアカペラコンサートのブース準備に忙しく、また当日アカペラの発表もいくつか行っていたため、韓国人学生が日本来たときの大学祭アテンドのサポートは片手間にやってしまっていました。大学祭前後の学校見学や名古屋観光の補助などは行っていたのですが、それでも本気で韓国人学生たちに楽しんでもらえるようにと心をこめていたかというと、恥ずかしながらそうではありませんでした。やらなければいけないから、やっている状態です。

一方で、その韓国交流イベントに参加していたのは、何も6年一貫コースの学生だけではありませんでした。愛知教育大学には、日本語教育コースや、国際文化コースといった必ずしも教員を目指しているわけではないコースもあり、そういった海外との交流や、海外での就職を目指しているような学生たちもいました。彼らは、昨年度からこの交流プログラムに参加し、昨年度実際韓国に1週間交換留学生として行き、また今年も韓国人の受け入れを有志で手伝っているという人々でした。私は、6年一貫コースなので、集中講義扱いになって単位が出ますが、彼らは特にそういったものもなく、純粋に自分の思いでこのプログラムに参加している有志の人達でした。

そして、彼は本当に献身的に韓国人学生のお世話をしていました。その結果、韓国人学生たちは日本人学生に深く感謝し、最高の思い出ができたと涙ながらに帰国をしていきました。私も、最後の空港の見送りまで参加していましたが、泣きながらお別れを惜しんでいる日韓の学生をみながら、そこまでは思い入れをもつことができない自分がいました。それは、「がんばっていなかった」からだと思います。

韓国の短期研修プログラムで感動と反省

しばらくたって、いよいよ日本側が韓国の晋州教育大学校に1週間旅立つことになりました。私の他にも6年一貫コースの学生が5名ほど。さらに有志でこのプログラムに参加している学生が10名ほど韓国に行きます。韓国の空港では早速、韓国人大学生が熱烈に歓迎してくれました。そうです。数カ月前、私たちが受け入れた学生たちが、今度はお返しに韓国の案内をしてくれるのです。

そこからの1週間の韓国生活は、文字通り私の人生を変えました。
国が違っても、言葉が違っても、意思がしっかり伝わらなくても、ここまで人は相手に対して献身的になれるのかということを体験しました。そして、お互いのリスペクトがあれば、こんなにも濃い関係性が作れるのかと感動しました。
それまで、韓国という国に対してはどちらかというとネガティブな印象しかありませんでした。今でこそ韓国のアイドルグループや文化は日本でもかなりの位置にありますが、15年ほど前はやっと東方神起や少女時代が売れ始めていたころで、韓国というと領土問題と反日というイメージが強くて少し怖いというのが正直な感想でした。
それでも、個人と個人で韓国人の友人を見たときに、「あのとき日本で自分のお世話をしてくれたみんなに、恩返しをしたい!」という温かさには、そういった怖いマイナスイメージを全く感じさせない力がありました。
そして、韓国から日本に帰国する際は、私もボロボロ泣きながらお別れを惜しみました。

さらに、もちろんこうして感動的な体験をさせてもらえたことへの感謝はあるのですが、それと同時に「自分が彼らを受け入れる時に、時間は使っていたけれど、心を使っていたか」という点で大きく反省をしました。自分は100%がんばっていなかったのに、しっかりと受け入れを頑張っていた他の日本人の仲間たちのおかげで、自分も韓国で素晴らしい体験をさせてもらったという事実に、恥ずかしさを覚えました。


反省して、本気を出したら、涙でぐちゃぐちゃになるくらい感動した

この後悔によって、大学4年生の5月の受け入れでは、本気の歓迎をしようと決めました。そして実際に100%の思いを込めて、歓迎プロジェクトを行いました。もちろん、そのときの歓迎プロジェクトで、新たな韓国人学生と友情をはぐくみ、また別れる際には今度は日本の空港で涙しました。昨年こうして泣いている日本人学生の気持ちが、やっとわかりました。人は真剣に心をこめて何かを成すから、自分の心も動くのです。

2回目の受け入れの際、韓国人の学生が最後のスピーチでこう言っていました。
「日本の友達は、私たちが日本に来る前から、既に私たちのことを愛してくれていた。そこに強く感動した。」
毎年こうして、恩送りが行われていく活動を通して、いよいよ私は韓国に1年間行ってみたいと思うようになりました。何かを学びたいというよりは、こうして友人ができた場所で1年間住んでみたいというのが動機です。それを他者に説明しろと言われても、うまくは説明できない感情でした。


両親の反対と、感情論での説得

両親にそのことを相談したところ、今回はしっかり反対されました。
・まず、大学院か留学かを選ぶようにと言ったときは、大学院を選んだはずだ。約束が違う。
・仮にその約束違反は目をつぶったとして、なぜ韓国なんだ?教員になることが目標だと思うが、韓国語が話せるようになって、どんなメリットがあるのか。英語ならばまだわかるが、韓国である理由を教えてほしい。

はい。
今思えば、至極もっともな反対質問だと感じます。

それに対するやまだしょうの回答は、
「そのときは留学したいなんて少しも思ってなかったけど、今は違う。大学院にも行きたいし、留学もしたい。それが将来何につながるかなんて、自分にもわからないし、説明はできない。だけど行きたいから行く。役に立つとか何かにつながるとかそういう話ではない。」
この感情論でしかない説得で、一応は両親も折れてくれて、1年間の留学も認めてくれました。本当に感謝です。

そんなこんなで、大学院1年生が終わろうとするタイミングの2月、韓国に旅立ちました。韓国での生活についてはまた別の機会に書こうと思います。
留学を終えて帰ってきた私を見て、両親はこんなことを言ってくれました。

「あなたが韓国に行きたいといったときは反対したけれど、帰ってきたあなたを見て、反対すべきでなかったと反省した。思えば自分は韓国に留学したことがない。自分がことのない経験を、子どもがしてみたいと言っているとき、自分の常識や価値観で安易に反対すべきではなかったと思った。帰ってきたあなたは、何と言っていいか言葉にするのは難しいけれど、スケールが大きくなって帰ってきた。留学する前にそうなることはわからなかった。行かせて良かった。」


予測も計画もできない未来に、軽やかに飛び込んでいくということ

こうして「わからないけど一歩踏み出してみる」ことで見えてくる世界もあると思います。
私は、こうして大学の間に海外に出たことで、枠を一つ飛び越えたものの見方をできるようになったし、自分はどこにいてもなんとかやっていけそうだという、ふわっとした自信のようなものを得ました。
それが、きっと数年後のベトナム就職にもつながっているし、それがなければ今の自分は形づくられていないだろうなと思います。

人生は計画通りいかないものだと思うので、こうした「強く心を動かされる対象」は、しっかりと握りしめて人生を選択するようにしています。
これからもいろんな「もの・こと・人」が私の心を強く動かしてくれると思います。軽やかにそういったものに影響されながら、楽しく人生を作っていきたいです。

蛇足

そんなこんなで、1年の留学を終えて韓国から大学院に戻ってきたのですが、その後周囲の仲間はどんどん大学を卒業してしまい(そりゃそうだ)、最後の1年はアカペラもそこまで多くの時間を使わないという結果になりました。両親の言うように、「何がきっかけであろうとも、最後はしっかり勉強をするだろうから大学院に行く価値はある」という形を証明するように、大学院の最後は一生懸命修士論文を書いて修了しました。人生どうなるかわからないですねぇ。


ここまで読んでくださってありがとうございました!
最後にスキを押していっていただけるととっても嬉しいです!
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