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集まる意味

昭和の遺物

なぜ日本ではスーツ姿の男性が泥酔し、路上で寝込んでいるのだろう。そんな疑問から、コスタリカ出身の写真家、アレグラ・パチェコさん(36)が、サラリーマンを追ったドキュメンタリー映画を完成させた。

朝日新聞2022.9.9

この映画のYOUTUBEを視聴して自分の過去を思い出しました。


過去の私は「前日にどんなに深酒しても、這ってでも翌日定時に出社する」ことを信条としていました。
往復の通勤に3時間近くかかっていたので、体調の悪い時、ラッシュアワーは辛かったです。(自業自得ですが)
午前中二日酔いで、機能不全でも「オフィスにいること」が重要だったし、周囲の同調圧力もありました。
同時にそのような困難を乗り越えて出社している姿を誇らしく思っていたのです。
幼児を2人抱えている妻は、そんな私を淡々と送り出し、深夜に迎え入れていました。
現在のイクメン世代とは真逆の家庭でした。
今や「出社が当たり前の時代」は終わりました。
そして「出社する意味を問われる時代」になったのです。

コミュニケーションの希薄化

 リモートワークが本格的に始まった2020年4月以降の新卒または中途入社の社員の声を少し紹介してみましょう。

「直属の課長以外の会社のメンバーと会う機会がない」
そして
「課のミーティングは、課長も含め全員画面オフ。自分の発言が出席メンバーにどのように受け止められたのか、仕草や表情などで、確認できないためすごく不安になる」

別の方からはこんな話題が出てきます。

「上司に相談したいことがあるのだが、DWPのスケジュールが空いていない。スケジュールが向こう1か月間ずっと詰まっている。リアル出社の際に姿は見かけるが、忙しそうだし相談するのを躊躇している」

コロナ禍以降に入社した社員は、リアルでの出社経験がほとんどなく、画面越しの会社しか知らないため、自部門はもとより、他部門のメンバー、そして会社全体の雰囲気を知らない方々もいるのです。

集まる意味を問い直す

先日リクルートワークス研究所の「集まる意味」というセミナーを視聴しました。

テレワークの増加で、経営者あるいは上司目線では「リアル対面による一体感の高まり」による全体最適化を求めるのに対して、一般社員(部下)目線では「リモートで作業に集中できる」という「個別最適化への欲求」という意識の齟齬があります。

「出社によるリアル対面の意味」を見出し、リアルVSリモートの二項対立に陥ることのない新たな「解」が必要です。
上司が部下に出社を指示しても、出社した部下がリモートワークと同じようにオフィスで一日中一人作業をしているのであれば、在宅の方が、移動時間がなく効率がよい、と思うのではないでしょうか?

リモートとリアルの違い

 リモートのミーティングで集まった中で、特定の人と、個別に話すことはなかなか難しいと思います。
リアルの会議のように、会議の前後でのちょっとした偶発的な会話は発生しにくいし、さらにその会話の最中に、偶発的に出会った複数人が参加するという状況も起こりにくいと思います。

このようにオフィスという同じ場所にいることによって、知りえる情報に触れることが難しくなっています。
リモートによって「目的のある集まり」は維持されるものの、リアルの「集まり」における、ちょっとしたやり取りで生まれる「繋がり」が失われているのです。
(国語学者の金田一秀穂はこの違いを「気配」の有無と指摘しています)

「リモートで伝わらないことって何があると思いますか?体温?匂い?対面で体温や匂いが感じられるほど近く接近したら、それはそれで問題です。私はそれを『気配』だと考えています。『気配』とは人を和ませ結びつけるものです」

金田一秀穂(国語学者) 談

集まる意味

リモートワークを前提として「集まる機会」を再設計する必要があります。

現状は、コロナ禍以前の「集まる機会」を、ただ単にリモートに適用しただけの状態だと思います。

それらの「集まる機会」を棚卸しして、その意味を再度整理する必要があります。「情報伝達のみなのか、意見を出し合う発散の場なのか、それとも結論を出す収束の場なのか」それぞれの集まる場の「ゴール(集まる目的)」をまずは明確にする必要があります。

その際の2つのTipsを提案します。

一つ目はリモートでできるだけ伝わるように工夫する、ということです。

非言語の表現・・・「笑顔」「うなずき」「ジェスチャー」をよりオーバーにするだけでも「話しやすい雰囲気つくり」ができます。
(ミーティング冒頭のアイスブレイクも有効です)

二つ目はリアルでしかできないことを組み込むことです。
創造性、偶発性、コラボレーション、チームビルディングの必要があるときはオフィス出社にして、チームごとに出社日をあわせるなどの工夫が必要です。

最後にネットワークサイエンス第一人者の安田雪さんのコメントを紹介して終わります。

「・・・その場でどれだけ無駄なことが起こるか、なのです。
そして、その無駄にどこまで意義を見いだせるか。
皆で集まってもまったく無駄のないやりとりをするだけなら、個々のオンラインで済むわけですよね。
ちょっと雑談をする、久しぶりに顔を合わせるといった“余剰の知”とでもいうか、そこから生まれるインタラクションがあるのだったら『やっぱり集まろう』という話になるわけです。」

written by 小林


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