〈人間不信〉である自分を受け入れる

私の母は、「好きな人」以外「嫌いな人」という極端な人だ。
その血を継ぎ、母の背中を見続けてきた私も、そんな極端な人間になった。

母の「好きな人」以外「嫌いな人」が発揮されている一番身近なところで言えば、いとこ家族を毛嫌いしていることだ。本人たちが同じ場にいても、あからさまに嫌っているように振舞う。

そして、スーパーで知り合いを見かけても仲良くなければ挨拶しない。「〇〇ちゃんのお母さんがいるよ!」と教えて、「余計なこと言うんじゃない、向こうは気付いてないんだから」と言われたことを良く覚えている。
そして帰り道、その人の悪口を言う。

幼い頃は、「なんで私のいとこが嫌いなの?」「なんで挨拶しないの?」と不思議に思っていた。悪い人じゃないのに、どうして仲良くしようとしないのかがわからなかったのだ。

しかし、そんな私もいつしか、母と同じように好きな人以外と仲良くしようと思わない人間になっていた。

みんなと仲良くした方が絶対に良いのはわかっている。でも、仲良くしたくない気持ちや、「何故私が相手に歩み寄らなければいけないんだ」という気持ちの方が勝ってしまうのだ。

苦手な人と仲良くなる必要なんてないし、本当の意味で仲良くなるのは無理かもしれないこともわかっている。もう子どもじゃないのだから、建前上で相手に好意のあるように振る舞えばいい。それもわかっている。

わかっているのに、私にはそれが難しい。母しか知らないから、苦手な人に対して建前上だけ仲良くするというのをどうやればいいのかわからないし、建前というのは、良くも悪くも素直に気持ちを表現していないということだから、却って相手に対して誠実ではないような気がしてしまうのだ。

そんな風に「建前」が良くわからないまま日々を過ごしていくうちに、徐々に人に不信感を持つようになっていった。本音と建前を使い分けられると言うことは、日常的に嘘をついているということだと思ってしまったのだ。

そして、「人の言動には裏がある」と思い込むに至り、軽い人間不信に陥っていった。

例えば、相手の言動を悪い方へ悪い方へ受け取ってしまい、仲良くしてくれる人に対しても、「どうせ裏では悪口を言っている」「建前で私と仲良いふりをしてくれているだけだ」と思ってしまうような感じで。

こんなことはきっと、考えすぎなのだと思う。他人はそこまで私に関心がないのだから、私に向かう態度はすべて「その他大勢」に対する態度でしかないのだろう。

でも、人を信用できないという思いが自分の中にあるということも、間違ようもない事実だ。頭でわかっていたところで、思いを払拭しきれていないのなら意味がない。

そこで私は、現状を打破するために「人間不信」について簡単に調べてみることにした。

人間不信とは?

人間不信は、Wikipediaによると以下のような状態を指すそうだ。

人間不信(にんげんふしん、英: misanthropy、独: die Menschenfeindlichkeit)とは、何らかの原因で他人を信じられなくなること。狭義では一般的な社会生活を行えないほどの重度の症状を指すが、広義には人間関係のいざこざによる軽度のものも含まれる事がある。人間嫌い(にんげんぎらい)、厭人(えんじん)、厭人家(えんじんか)ともいう。

私の場合は、一般的な社会生活を行えないほどではないため、軽度な広義の方に当てはまるのではないかと思う。「人間嫌い」と言う方がしっくりくるような気もする。

そして、人間不信な人の特徴には以下のようなものがあるそうなのだが、かなり当てはまっていて驚いた。

1. 人付き合いが苦手でひとりでいたがる
2. 否定的な意見が多くなりがち
3. 他人の評価・承認に戸惑いを覚えやすい
4. 人とのつながりがSNSなどに偏りがち
5. 感情表現が少なくなりがち

私の場合、SNSでもそこまで人とのつながりを持っていないため、4は当てはまるかどうか微妙だと思った。しかし、寂しい時に人とのつながりを求めて使うのはTwitterやstand.fmなどのリアルな対人関係以外のつながりであることに気づいた。

対人関係の希薄さから生じる不安を埋め合わせるものとしてそれらのSNSを使っている点で言うと、4も当てはまるように思う。

そして、5に関しても、自分はそれほど感情表現に乏しい方だと思っていないため、最初当てはまらないと思った。しかし、自分を知られたくないと言う気持ちから感情表現が少なくなるという文脈だったため、自分を知られたくないという点では当てはまるように思う。

人間不信を克服するには?

軽度な人間不信のため、社会生活に支障をきたすほどではないにせよ(人によっては支障をきたしているように見えるかもしれないが)、できればこの人間不信を克服したい。

そこで、人間不信の克服方法についても調べてみた。

1. 不信感の意味を知る
→不信感は自分を守るために感じているものと解釈する
2. 自分を肯定する習慣をつける
3. 人に期待するより目的意識を持つ
→「その人とどんな対人関係を構築したいか?」など。
4. 人との関わる機会を少しずつ増やす
5. 近すぎて曖昧な人間関係はないかをチェックする

また「自己肯定感をあげよう」的なものが出てきた。正直うんざりだ。

でも、過去にも記事に書いたような自分の改善したいことの克服法のほとんどにこの「自己肯定感」が出てくる。ということは、まずは自己肯定感をなんとかしないとどうしようもないということなのかもしれない。

確かに、自分でも思うところはある。何度自分を受け入れようと努力したところで、自分を受け入れたくない自分がいるような感じがするのだ。

「自己肯定感上がっているかもしれない!」と思うこともあったけれど、自己肯定感なんてそんな簡単に上がるようなものではないし、多分勘違いだったのだと思う。必死に自己肯定感を上げようとして、必死になっていたのだろう。

もしかしたらその行為は、自己肯定感を上げるどころか、根っこにある卑屈な自分を否定することにつながってしまっていたのかもしれない。だとしたら、自己肯定どころかその真逆をやってしまっていたということだ。

noteを始めてから、自己肯定感という言葉に振り回され続けているけれど、まずは「人間不信である自分」を肯定するところから始めようと思う。


▼参考にした記事


この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,778件

大切なお時間を使って読んでくださり、本当にありがとうございます! 気に入っていただけましたら、サポートをいただけるととても嬉しいです。これまでにいただいたサポートが、私のモチベーションとなっています。