気づき

半年に一回しか更新されないザコノートのお時間です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。自分は風強すぎてお亡くなり、花粉飛びすぎてお亡くなりという感じです。34243と休み勤務が繰り返していたので、久々の5である今週はきついです。とはいえ、なんだかんだ明日で折り返し。

最近少しいろいろとあり、自己洞察することが非常に多かった。人と接する時に何を考えているか、何かを言われたりしてどう受け止めるか、こう考えるからああいう風に振る舞ってしまったとか、自分の一挙手一投足を自己解釈しまくっていた。
そこで、このノートになんかそういうことを記録しようと思って、見返していたら、さっき、ようやく気づいてしまった。自分は、完璧主義のくせに、面倒くさがりだということだ。完璧主義だから、面倒くさがりになるのか?そういうことのような気もする。どちらでもいいが、気づき(笑)を記す。

幼少期は運動を除いて、初見でも、何もしなくても人並み以上にできることが多かった記憶がある。自分は他より優れている、自分は特別なんだと、根拠なき自信を持ち続けていた。なまじ自分が何もせずとも他より優れていた時期があったせいで、努力を怠るようになった。時を経るにつれて苦手なことも増えてきて、自信はなくなっていったが、慢心として残り続けていた。本気なんか出さなくてもなんとかなるし、と考え続けて適当にこなしていって、適当な結果を残す存在になっていた。
この慢心によって、そんな存在になった自分を認められないのである。いつまでも、労力をかけずに望み通りの結果を出せる自分を求め続けてしまう。それが出来ないことはわかっているので、努力をしようと思っても、思い通りには行かない。なんとかなる精神は持ち合わせているつもりなのだが、思い通りに行かなかった結果、その精神を発揮した自分に失望して、もうこれができなかったからこれは諦めよう、という方向性にシフトしてしまう。そして、努力できない自分ってダメだなとどんどん気落ちして、逃避する。
例えば、資格の勉強を今日は1時間くらいやるぞ!としても、なんかめんどくさいな、他の日にやればいいか。となり、それを繰り返し続けて、あぁ、頑張れなかったな。ダメだな。とりあえず明日が本番だからこれだけは詰めとくか。でも眠いな。として結局詰めきれないとかが頻出するのだ。
これだけ書くとノー勉のように思えるが、実のところ、資格に関して言えば1日10分×2ヶ月ほど、スマホで過去問を解くだけの勉強はしていた。少ない気もするが、合格はしているので問題はないと言える。
参考書とノートを開いてやるぞ!という姿勢になれなかっただけで、自分のできる範囲ではできていたということに目を向けた方が人生お得だ。努力の仕方も人それぞれで、比較して、完璧を求めて、それが無理だと気づいてめんどくさくなって諦めるのは一番損だ。そういうことに気づいた。もっと早く気づきたかったのだが、しょうがない。これからは少しでも努力できたことを認める姿勢を作りたい。

以上で今回の戯言は終了。洞察の記録として、これからはノートの更新頻度が上がるかもしれない。


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