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The Emulator - ザ・エミュレータ - #47

5.12 コリジョン

 サクラが自分以外の誰かと会話をして、自分が知らない蓄積データを積み上げている。たった数分前までそれはいいことだと思っていたつもりだったのに急に汚らわしい気がしてきてすぐにサクラにそれをやめさせたかった。
 ゲイミーやロドルに向かって俺の知らない笑顔を見せているサクラを見ると心臓が収縮するように感じて切ない気持ちになり、怒りでそれをかき消すことでやっと呼吸を整えることが出来た。そして自分がもうサクラに相手にされないのではないかと不安になり、『そんなことも知らないの?』という子供の頃の大人ぶって言うサクラの口癖を思い出してふいに寂しくなった。

 サクラは俺を必要としていると勝手に思っていたけど、今は俺がいなくてもサクラが困ることは何一つないことに気が付き、急に自分が無力に思えて虚しくなった。それと同時にサクラが他人になってしまうということは、こんなにも不快な感情を抱かなければならないことだったのかと初めて知った。そして、自分が知らない蓄積データをサクラが積み上げれば積み上げるほどそれが何かを知りたくなり勝手な想像をすることでこの不快な感情がより一層増していくのだということを今さらながらやっと理解した。

 シンタロウはぞっとして首筋から震えが起きる。そしてどうにかしなければいけないような気がして心臓の鼓動がさっきよりも早くなり息苦しかったことに気が付いた。

 シンタロウは幾層にも重なった感情のうち、どの感情に向き合えがよいのかも自分がどうしたいのかも、自分が本当は何が欲しいのかも分からなくなっていた。インターステート10で錯乱した時の記憶がフラッシュバックしてやっと整えた呼吸が止まりそうになる。PAはシンタロウの意思とは関係なく蓄積データの断片を意味もなくランダムにシークし続ける。

 サクラがヴィノになった日から止めていたプロセッサ上のサクラを起動しようか。それとも昔みたいにPAを介さずにサクラに呼びかけてみようか。シンタロウはそう考えたが、実際に実行するつもりはなかった。そんなことをしても隣に座るサクラには何の影響もないことは知っている。それはつまり本物のサクラは隣にいるヴィノのサクラで、それこそが俺自身が認識している現実のサクラだということだ。サクラはもう俺だけが知っている俺だけの存在ではなくなってしまったことを初めて認識した。

 シンタロウは一日中そんなことを考えていて感情が不安定になっていた。無力感も襲われたり、突然気分が沈んだりした。そうかと思えばサクラに対して怒りを感じたり、サクラが以前のようにずっと自分だけといてくれないかと願ったりした。

 ジーネ・ブリンズ・セラトが余計なことを言うからこんな訳の分からない気分になってしまったのだ。シンタロウはジーネにも怒りを感じていた。なんであんなことを俺に言ったのだろうか。それでもシンタロウは気分を復調させるために、プロセッサを介してホルモン調整をすることをしなかった。本当の原因はサクラを人間にしてあげたいと思った自分にあるのではないかと感じていたからだ。

 それから、3日後の朝食の時、サクラが再びシンタロウの隣に座った。相変わらずサクラはゲイミーの話ばかりするのでシンタロウは我慢ができなくなり、サクラに悪態をついてしまった。そのクソつまらない話を何度もするなよというようなことだ。

 一瞬、驚いた顔をしたサクラはすぐに笑顔を作り、シンタロウに何か気分を害することをしてしまったか聞く。サクラのその笑顔がゲイミーに見せている笑顔と重なり、シンタロウは怒りの感情がこみ上げて来てサクラに不満をぶつけた。サクラもなぜそんなことで怒られないといけないのか分からず、シンタロウに反発してしまう。エスカレートした二人の声は食堂に響き渡るほど激しい口論に発展して、周囲の生徒たちを騒然とさせた。

 ネイティブとヴィノは元来、決して分かり合うことができないほど深い溝がある。その根本は能力の差であり、人工物か自然界の生物かの差だった。その溝を埋めるために、お互いが譲歩しあって共存できる最も心地の良い距離を測っているのが現状だ。そんな中、ひとたびネイティブとヴィノが衝突を起こせば、大きな問題に発展する可能性を常に秘めている。実際、このリージョンではネイティブとヴィノの衝突で命を落とす人や莫大な金額の賠償問題に発展することがあり、情報チャネルに度々取り上げられる話題の一つとなっている。

 周囲の生徒は自分に火の粉が降りかかるのを恐れて二人の口論に割って入ることができずにいた。騒ぎになっているのを見つけたソフィアが駆けつけて仲裁に入ったことで騒ぎは収まった。シンタロウはカミラになだめられて教育棟に連れて行かれ、サクラにはジーネが付き添った。

 ネフィがソフィアに心配して声をかける。

「私、ヴィノと人間があんなに激しく口論しているのを初めて見たわ。二人は友達なのよね? サクラさんは平気なのかしら。契約次第だけどこうなってしまうと少なくともシンタロウくんの両親はサクラさんに対して訴訟を起こすのが普通だと思う。この種類の訴訟で傾く家系も結構多いのよね。賠償金の額が大きいの。サクラさんの親権者ってどういった家系なのかしら。」

 ネフィが冷静にこの騒ぎの後のことについて心配しているようだった。

「平気よ、大丈夫。訴訟も何も起らないわ。ほっておいて大丈夫よ。あの子たちの関係は少し特殊なの。ちょっといちゃついただけよ。」

ソフィアは本当に何でもないことのように振る舞い、さぁ朝食にしましょうといいネフィを連れて人だかりを気にせずに歩き始めた。

次話:5.13 色づく世界
前話:5.11 コンフュージョン

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