私が決断を行動に移すとき Comfort Zoneからの脱出
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つぶやきにて、転職活動中であることをお伝えしておりましたが、ついに決断いたしました。
コンス、転職いたします。
転職活動での苦労話、なぜその会社・ポジションに決めたかという話は別途するとして、今日は私がこれまで将来を見据えて環境を変える決断をしたタイミングについてお話させていただこうと思います。
すべての私の行動原則は、
There is no comfort in the growth zone, but there is no growth in the comfort zone.
につきます。
「自分の成長する場には快適さはなく、快適な場所には成長余地などない」
日本語だとこんなところでしょうか。
これは私が大学生のとき、オーストラリアに短期語学研修に引率してくださった、大学職員の方が教えてくださった言葉です。
彼は全米TOP10に常に入るような大学のMBAを取得しており、今の私の思考・行動様式の原点となる言葉をくださった方です。彼自身もこの言葉をMBA留学時代の恩師に送られたそうです。
この言葉を聞いた当時19歳なりたてのコンスは、良くも悪くもこのComfort Zoneから抜け出す、道に迷ったら難しい方にすすむということを心に決め、およそ10年経った今でもこの考えを実践しています。
さて本題ですが、私が将来を見据えて環境を変える決断をしたタイミングは今回の転職をいれると、2回あったと考えています。
1.大学院留学を決めた時
イギリスの大学院留学を決めた当時は20歳になる前でした。大学1年生の後半の時期ですね。きっかけは何個かあるのですが、少し思い返してみると主に3つだと思います。
1.大学での勉強面
・大学1年生の単位試験が思ったより簡単で、成績も良かった
(結果、成績優良者として卒業まで授業料が半額免除になった)
・大学で専門性のある勉強など少なく、将来何の役に立つかわからないものが多かった
(おそらく学部選びの時点で、自己分析ができていなかったことも原因)
・周りの学生でずばぬけて天才みたいな人がいなかった
(大学のレベルもありますが、似たような人・安全そうな道を志望する人が多かった)
その結果、勉強面での成長はここでは期待できないなと悟ったことが1つ目。難しいことができない、学べない、ヒリヒリした感覚がない(エキサイティングな環境)と思ったので、環境としては快適すぎるなと思ったことが1点目の要因です。
2. オーストラリアでの語学研修とNYへの短期研修の参加
・オーストラリアの語学研修はある意味お客様であったものの、英語環境への免疫のなさから相応の苦痛を強いられた(思ったことが言えない、伝わらない)
・NYへの短期研修は、他大学との合同プロジェクトであり、帰国子女・長期留学経験者が大多数であったため、学力・発信力・自己表現力のすべての面で自分が井の中の蛙だと思い知らされた
こんなヒリヒリした感覚を日常で味わえるのは、確実に彼/彼女らがGrowth Zoneを経験してきた人物だからに違いないと悟りました。困難な環境は海外にしかない!っと盲目的に思ったことが2つ目の理由です。
3. 就職活動への疑問とキャリアパス
大学のキャリアセンターに貼られている就職率・就職先は名だたる上場企業ばかりであり、この大学で就職活動をし、それなりの企業に入社できれば”安定”が手に入ることはなんとなく見えていました。
ただずっと引っかかっていたのは、”安定”って何、”いい”就職先って何、そこそこの大学をでて、そこそこの会社に就職して、平凡に暮らすって何か刺激があるのだろうかということでした。
(もちろん働き出した今では、なんと青臭いことを言っているんだと思います)
Comfort Zoneの中で、手の届く範囲で自分のやれることだけをやる
そんなこと、本当に自分が望んでいるのだろうかと当時のコンスは思ったのです。手を伸ばさないと入れない企業・職種にチャレンジしてこそ、自分の頑張り甲斐があるのだろう、このままのほほんとした環境で、できる範囲のチャレンジしかしないのは、逆にリスクだろうと思ったことが3つ目の理由です。
この3つの理由を自分なりに考え込んだ結果、自分はComfort Zoneにいる・いすぎていると感じ、少しストレッチしたキャリアを思い描き始め、それならまずは学歴・専門性のストレッチからということで、文系大学生ながら海外の大学院留学に挑戦することを決意しました。
人生を大きく変えるであろうタイミングはまずここが1つ目だったと思います。
結果として、イギリス大学院在学中に今のコンサルファームから内定をもらい、無事に大学院修了後に入社し、現在に至るわけです。
2. 初めての転職を決めた時 ←今ココ
コンサルティング業界は一般的に激務であると言われていたり、ロジカルな世界えあるがゆえに、論理性のない人は排除されるともいわれています。
顧客に価値を出す・出し続けるために、常に成長が求められる環境がコンサルファームではデフォルトとなっています。
前述の通り、私にとっては常にGrowth Zoneが多分にあり、環境としては最高なはず、、、でした。
入社して3年強経過し、昇進も経験し、部下がついた経験もあります。
ベーススキルはある程度身についた自覚もありますし、常に1つ上のタイトルの方がやる仕事に挑戦できるキャパもついてきました。
色々な人と働くことで、さまざまなPainを伴う成長機会が提供されたことも事実です。
一方で、ある程度スタッフとしてできることはやり尽くし、次のタイトル(マネージャー)以上の方の仕事に挑戦しようとしたとき、自分が入社当時にもはやトラウマを植え付けられるレベルのクオリティで仕事をする上司が減っていることにも気づきました。
大部分の彼らの仕事は、今の私が、少し頑張るだけでできそうと思えるようになってしまいました。
マネージャー以上の方の能力の問題というよりも、ここは巨大化する総合ファームが故の問題が内在しているなというのが個人的な見解です。
・これまで3人でやっていた仕事を、5人でやるようになった(人員増加)
⇒仕事難易度の低下・サイロ化
・大量採用による玉石混交(とりあえずヘッドカウントは多い)
⇒ミドル層は増加に比例し、コンサルの立ち振る舞いをする人が減少
・ナレッジ蓄積によるフレームワーク化のごり押し
⇒働き方改革や大量採用による人材品質劣化防止のため、決まったフレームワークがやたらめったら整備され、使用が義務付けられた
⇒考え方・整理学、クリエイティブさよりも、パズルが上手な秀才タイプが増えた
これまで個人の力で勝負していたものが、いろんな人がパフォーマンスを平均的に出せるように、ある種金太郎飴のようなコンサルティングを実施するケースが増えたように思います。
就社の時代ではなく、”個”のスキルをいかに磨き、没個性化しないかということが個人的にはキーワードだったと思うので、この流れは自分のキャリア志向とずれてきているなというのが正直な印象です。
幸いなことに、ここ1~2年は、プロジェクトの上司や同僚に良い評価をいただけることが多く、これで評価されるのか、フィードバックが優しすぎないかと感じることもありました。それだけ大量に人材が流入しており、少しでもコンサルタントとしての基礎があれば、ある程度評価される時代になったのかもしれません。
自分自身で特別なにか成長した感覚が得られないまま、評価されていることに少しジレンマを感じ始めました。
いつのまにか目の前からGrowth Zoneが立ち消えてしまっていることに恐怖を覚えました。
もちろん昇進すれば、違う景色も見えるのでしょう。
ただ、いつ食べられるかわからない目の前のニンジンに期待し、時間を浪費したくありませんでした。
結果として、Comfort Zoneから抜けることを決断しました。
もちろん他にも転職決断理由はあり、コロナの影響、自分自身が少し病気したこと、昇進後もプライベート重視な生活を続けていけるのか(成長とは別に、業務量的な負荷が増大することについて)も考慮しました。
結果として、Comfort Zoneとなったコンサルファームからの離脱を決め、より”個”の力、Growth Zoneが多いと思われる小さめの会社に移ることを決めました。
おわりに
簡単な道と難しい道のどちらをとるかは個人の考え次第だと思います。
毎回難しい道を選ぶ私は、いつも簡単な道にしておけばよかったなと後悔することも多々あります。
ただありきたりですが、何もやらずに後悔することはしたくないという方が自分としては重要なのです。
1つ目の転機であるイギリス留学はめちゃくちゃ苦労しましたが、今の自分の生活をエキサイティングなものにしてくれたので、確実にGrowthを提供してくれました。
次なる環境がどのようなGrowthを自分にもたらしてくれるかは未知数の部分も多いですが、今後のために頑張るのみです!
実際の転職活動記については、別記事書きますので、お楽しみに~!
終わり
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