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服飾意味、スケスケで怖い-10/5/23


せーのっ、自家撞着(じかどうちゃく)!😘

ハイッ!こんにちは♪😄

本日の日記、どうぞ!😉

怖い



上の画像2枚は、ファッションインスタグラマーさんがラウンチしたブランドのポップアップイベントの様子だ。

ファッションインフルエンサーの格好に憧れるフォロワー(必然的に外見が近似していく)が、一同に介してる。同じ見た目の青年でひしめき合う会場内なんだけど、

個人的に、かなり怖い。

なんでだろうとかんがえたのだが、おそらく
この会場に蔓延する、「明け透けさ」が怖いんだろうな

我々現代人にとって、着飾ることは暖寒をコントロールする他に、何がしかの目的意識の元で行われる。

主にこのファッションインフルエンサーは、いわゆる「女子ウケ」するためのおしゃれ術を発信している。
そんな意図に共感し、従う人たちが集まっている。
つまり、この会場にいる彼らの服飾の目的は、「女子ウケ」であると言える。
その髪、その肌、体型、服、姿かたちであるための理由が、すっけすけに透けて見えてしまっている。

しかし、ここでとても重要になるルールがあるのだが、「女子ウケを狙う服装をしてはいるが、女子ウケを狙っていることが知られてはいけない」である。
ウケを狙われてる女子としても、「こいつ、ガッツリ狙ってきてるな」ということが自明になると冷めるだろうし、言葉や態度には意図的に表さないその「無言の前のめり姿勢」に怖さすら感じるかもしれない。
そしてその意図は、普段は街ゆく「そうでない」人々により、紛れ、かき消される。そしてその狙いは成功する。

つまりその意図は、他者のまなざしに隠されてこそ達成されるのだ。

しかし、先程もいったが、透けている。
同じ見た目をした人間が集合することで、背後に隠れた、一貫した意味が嫌でも見えてくる

それが怖い!!!!!!!!!!!!

「他者によりこう思われたい」という秘められた、ちょ~~~具体的な意図が、私という(や会場内の)他者によって白日の下となっている状況が、たまらなくゾワゾワする!!!!
会場内の彼らは、同志をみて何を思うんだろうか。


天才

ツイッターで回ってきた、星新一による文字通り「ありがたい」お言葉。

こういう「天才だって苦悶しながらアイデアを捻出している」論って定期的に流れてくるし見かけた瞬間は「ああ、またか」と思うんだけど、同時にやっぱり「だよねえ、勇気もらえるわあ」とも思う。天才たちによる眩しい功績を眺めているとそれがつい、極めて自分離れした出来事のように思えてくる。

ただ、この文章は「天才は俺たちと大きく変わらない凡人」ということだけではなく、「でも天才はやっぱり天才で、俺たちとは違う」という悲しい事実をも同時に明らかにする。
注目すべきなのは最後の一文での「決して気力をゆるめてはならない」の部分。この何気ない一文に、天才たるゆえんが詰まってるように思える。

星新一はどれだけ自らの才能に失望しようとも、アイデアが浮かばず途方に暮れようと、もうやめたいと願い続けようと、でも「気力をゆるめる」ことはついぞ無かった。あまりの辛さに凡人たちの有象無象がここで脱落していく中、彼は筆を折らなかった。だから名声を勝ち得た。

つまり、「天才=アイデアが都合よくホイホイでてくる人」ではなく「天才=気力をゆるめない人」という方程式が成り立ちそうだ。自らに絶望しながらも、前を向き続けるものだけが、希望を掴み取れるのだという涙ぐましい手垢がベッタベタについた神話に行き着くんだよね。。。(T_T)

「頑張る人」ってまじでカッコいいから、俺もなれるように頑張るぞ!今のところあまり頑張ってないから!頑張っている最中だけは、「天才」を名乗る権利を得られるんだ!

今日から君も、天才や!
Never Give Up!🔥☺



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