エモとして消費される音楽

「花束みたいな恋をした」を観ました。
きっかけは、三宅香帆さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」で取り上げられていたこと。

同様の文化的趣味を持つ大学生の麦と絹が出会って付き合って、そのまま社会人になって、働き方とか環境の変化とか考え方の違いでダメになっちゃうカップルの話。

「あ~こういうのをエモいって言うのかな~~」

皆さんは音楽は好きですか?
私は、音楽に救われて生きてきた人間です。

勇気が欲しいとき、悲しい時、頑張りたいとき、絶望の底にいるとき、
柔らかな春の日差しの中で本を読むとき、こんもり積もった雪の中を家を目指して歩くとき。
どんな時でも私のそばには音楽がありました。

で、「エモい」って何?

近年流行りだした「エモい」という言葉

「エモい」ってなんだかあまり使いたい言葉ではないのですが、分からないのに嫌がるのもなんだかな、という感じなので、「エモい」を私なりに考えてみることにします。

なんで私は「花束みたいな恋をした」を観て「エモい」って感情を思い出したんだろう?
この映画にはいくつかの文化的な趣味が登場します。
音楽、本、お笑い、映画…。

その中で、私が1番大切に愛してきた「音楽」で「エモ」を考えてみます。

劇中で出てきた音楽は「きのこ帝国」、「羊文学」、
「Awesome City Club」、「崎山蒼志」、「フレンズ」(など…)
まさに、麦や絹が聴いていそうな音楽!解釈一致!とうれしくなる音楽です。
絹と麦が劇中できのこ帝国の「クロノスタシス」を歌っていたのは印象的でした。

きのこ帝国は以前から人気のバンドでしたが、「無期限活動休止」をしてからより一層その人気は高まったように感じます。
人気が高まったというより、概念的な希少価値が上がったというべきでしょうか。

音楽好きの誰かが「きのこ帝国」の話をするとき、もう、それは誰にとっても「思い出」の話。リアルタイムじゃない過去の感情は2度と動かせない。
きのこ帝国を聞きながら、冷たい缶ビール片手に歩いたあの夏の日
彼氏に振られて1人で見に行った羊文学
もう取り戻せないキラキラしたあの日を思い出すとき。
そんな今の自分には変えられない昔の感情を思い出すとき、人は「エモい」と思うのでは?というのが今の私の考えです。

「なんでエモいって言葉は好かれないんだろうか。」

前述したように、私は「エモい」って言葉があまりすきではありません。
文章を読む人ほど「エモい」って言葉を毛嫌いしている人が多い印象があります。
なんで、「エモい」は好かれないんだろう。

エモいという感情の中には、「暗い感情」「明るい感情」が混じり合っているのに、それを表現することをさぼっているからなのではないか、というのが私の考えです。

例えば、
きのこ帝国を聞きながら、冷たい缶ビール片手に歩いたあの夏の日
明るい感情:あの頃、楽しかったよな~という思い出すとわくわくする感情
暗い感情 :でも、もう戻れないんだよなあ~というセンチメンタルな感情

彼氏に振られて1人で見に行った羊文学
暗い感情 :彼氏に振られたのは当時の私にとっては辛い~
明るい感情:でも、今になればいい思い出だな~という感情

なんだか、話せば長いのに、それを全部サボっている、そんな気がする表現。
それが私にとっての「エモい」という言葉です。

「エモい」で片づけてしまうのは簡単だけれど、少し立ち止まって丁寧に言葉を綴っていければと思います。
そんな気持ちでnoteを書いていきます。
よろしくお願いいたします。

皆さんにとって「エモい」はどんな感情でしょうか。
ぜひ教えてください。

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