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拡張現実が、有象無象を扱えるようになるまで。

"メタバース、嗚呼(ああ)メタバース。人の数だけメタバース。暗黙知、嗚呼(ああ)暗黙知。まだわからないことは、わからないまま記録する。未来につなぐ。未来へ託す。記憶の数だけメタバース。拡張現実は、記憶と記録を同時に残す。あなたの未練をなぞらえて、あなたの未練をしたがえて。"

VIRTUAL NIPPON COLOSSEUMより

AR三兄弟をはじめたのは2009年夏。ARという、当時はまだ目新しかった要素技術に可能性を感じて、10パターンくらいのネタを開発したのがはじまり。TシャツからTwitterアイコンとつぶやきが飛び出してきたり、ARマーカーから鳩がアニメーションで飛び出してきたり、漢字のマーカーを組み合わせたカンジブル・コンピューティングを発表したり。デモ動画として記録に残っているだけでも400以上のプロトタイプを開発してきた。開発環境は、WebカメラとFlashを組み合わせたものからスタート。ミュージシャンとの数々のコラボレーション、パリで挑んだファッションショー、美術館や博物館などの空間開発、最近では空港や都市開発まで手がけるようになった。スケールが大きくなるにつれて、扱える言語や機材が増えていった。発表の場も、国内だけではなく中国、フランス、イタリアなど広がりをみせてきた。

mp3やmp4、3gsからplyまで。扱える拡張子の種類も必然的に増えているが、果たして文化的な意味で何でも扱えるようになっているのか。世界は単純ではない。たとえば平和という言葉だけを扱えるようになっても、それぞれが自立するために必要な正義によって祈りは簡単にかき消されてしまう。各国がそれぞれ編じた歴史という一面的な物の見方では、もう世界は把握できなくなっている。

現代に於ける音響とは、重なりあう価値の共鳴だ。異なるペンタトニック。つまりは文化と宗教と生活、ときに人智を超えたものを扱えるようにならないと、多種多様な祈りを内包したフレームにはならない。

3Dモデルを単純に現実へ配置するのではなく、文化的な背景つまり現実に潜むメタ情報を含めたコラージュを拡張現実的に行うことで、複雑な世界への祈りを内包した人間賛歌につながるのではないか。それが現代に最も必要なお祭りなのではないか。そう考えて、この作品を開発した。

さよなら、名ばかりのメタバース。デジタルテクノロジーが示す矢印は、効率化の一途ではない。ましてや椅子取りゲームでもない。むしろ、扱いきれないものを扱ってゆく。拡張現実は、まだ分からないものを分からないまま記録する。この作品をもって、現実に問い直したい。

追伸 
発表したものの、なんか反応薄いと感じていたら、うっかりただの映像作品だと思われていたみたい。以下の通り、しっかりAR作品です。

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