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僕の隠し事

君はきっと知らないだろうね。
僕のたくらみを。

僕は今3年付き合った彼女ととある避暑地にやってきた。深緑の葉が生い茂る森の中で,お菓子の家のようにちょこんと居座っているコテージ。そこに泊まることになっていた。

一か月前のことである。彼女は「暑い,どこか涼しいところに行きたい。あんまりキラキラしていないところがいいな。」とずっと言っていた。
日頃ウェディング関連の仕事でくたくたの彼女は,休息を欲しがっていたのだろう。彼女はレストラン,豪華なホテルで仕事をすることが多い。だからたまには,自然いっぱいで落ち着けるところで過ごしたいと話していたのだ。
そこで真夏の日差し攻撃と夜の明かりから逃げ,避暑地で何日か羽を休めることにした。もちろん二人きりでコテージに泊まる。彼女は繁忙期で忙しい。当然のことながら,虫よけ対策や食べ物,準備はほぼすべて僕がやることにした。

その準備中に思いついた。

僕はきらきらした夜景や夜の海があまり得意でない。高いレストランを予約するだけの財力もないし,なによりきらびやかな雰囲気は苦手だ。
そんな僕だから…あれをするタイミングを失っていた。
だが,この安息の場は柔らかな陽だまりに包まれた,二人きりの空間。
チャンスだ。指輪を用意しよう。ここを逃したらもう後はない。

そこから先は早かった。どさくさに紛れて昼寝中の彼女に近づき,指のサイズをこっそり測った。シンプルなものが好きな彼女の好みに合わせて,宝石などを付けないシルバーの指輪を用意した。

そして今,僕は彼女とコテージにいる。
しかしいざコテージについてみると二人でやりたいことが山のように出てくる。コテージを探索し,避暑地の隠れ家レストランへ行った。ハンモックに寝そべり,涼しい風の中一緒に散歩し,夜空の下で酒を飲みながらバーベキューをした。花火もして,怪談話もした。
風呂に入り,遅くまで焚火のそばで夜空を見ていたらいつのまにか寝る時間になっていた。二人で酒を飲んでいたこともあり,指輪のことは完全に失念していた。

酒というのは恐ろしいもので,一世一代のチャンスを簡単に脳みそから追い出してしまう。
朝起きたらベッドの上に一人で寝ていた。
「やってしまった…」
自分に対する呆れとやや二日酔い気味の頭痛のせいで重い頭を上げた。

外はまだ暗い。しかし耳を澄ませるとキッチンから音がする。彼女はもう起きているようだ。上着のポケットに指輪を入れ,キッチンへ向かう。

階下に降りてみると,やはり彼女はもう起きていた。キッチンで朝食を準備している。ベーコンとスクランブルエッグ,ホテルのような朝食である。
「おはよう。」
「おはよう。」
「いい天気ね。」
「うん。」
会話が止まる。さて,どうやって指輪を渡すか…
「ねえ,私言いたいことあるんだけど。」
突然彼女が言う。
なんだろう。まさか…
「…昨日先に寝たの怒っている?」
「うふふ。確か昨日早々に寝てたよねえ,火の始末してさっさと寝ちゃったし。でも違うよ。」
「…ええと,バーベキュー,気に入らなかった…?」
「あはは,違う違う。おいしかったよ。あのねえ,昨日酔っぱらっちゃって,言い損ねたのよ。」
そして取り出したのは…なんと,指輪。
「…え?」
「君,夜景とかレストランとか苦手でしょ?それでこういう避暑地でならプロポーズ行ける!って思ってたのよね。」
「…え,ええええ!」
「というわけで,私と結婚してください。」
ああ,嘘だろう。酔っぱらってプロポーズし損ねた挙句彼女に先回りされるなんて。そしてこの状況を嬉しく思っている自分を含め,ダサすぎるのは否めない。
「…もしかして,それで避暑地に行きたいとか言ってたの?」
「もちろん。むしろコテージでプロポーズって状況,似合う相手は君しかいないよ。」
「…そうだね。こんな発想,僕らしかできないよ。」
「…僕ら?」
「同じこと考えていた,君と。」
そして上着から指輪を出して渡す。

君はきっと知らなかった,僕のたくらみを。
そして僕もまた,君のたくらみを知らなかった。
お互いにもらった指輪をつける。日が昇って,あたりが橙から黄色にかわる。
銀色の指輪が朝日を反射して眩しかった。

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